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JASRAC許諾番号
9005801003Y
30005900580
1003Y30007 |
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JRC許諾番号:
X000140A02L
JRC許諾番号:
X000140A03L |
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このマークは、レコード会社が提供するコンテンツを示す登録商標です
RIAJ60001008 |
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e-License
許諾番号
ID12060
ID15548 |
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「スーパージェッター」('65年1月)は、日本初の本格的SFアニメ。後に日本のSF界を代表する筒井康隆、半村良といった面々が脚本の企画段階から参加しており、ジェッターが装備する“タイムストッパー”“パラライザー”“赤外線透視眼鏡”など、画期的な世界に魅了され、SFファンの道を歩んだ人も多いそう。
「宇宙少年ソラン」('65年5月)は、週刊少年マガジンの連載開始と同時にアニメ化され、今で言う“メディア・ミックス”を早くも展開。そして、その後番組が久松文雄原作の「冒険ガボテン島」('67年4月)。少年少女5人が無人島で力強く生き抜く様を描いた感動のサバイバル・アニメでした。
また、この頃の世相を表すのが「ハリスの旋風」('66年5月)。当時はナショナルキッド=提供:松下電器の様に、スポンサー名が反映されている番組があり、同作も“カネボウハリス”というガムのメーカーが番組提供しており、主人公の石田国松がガムを噛むシーンが多くありました。

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1965年1月より放送された「ウルトラQ」。ウルトラシリーズの第1弾で、巨匠・円谷英二が手掛けた初の特撮TV映画です。当初は怪獣特撮モノではなく“ミステリーゾーン・日本版”の様な作りであり、浦島太郎をベースとした「育てよ!カメ」などコミカルタッチの作品も。平均視聴率30%という人気を得ました。
「ウルトラQ」に続き、「ウルトラQ・特撮シリーズ」として「ウルトラマン」('66年7月)が開始。地球では科学特捜隊のハヤタ隊員として暮らす、M78星雲出身の宇宙人・ウルトラマン。しかし、地球に襲いかかる怪獣が現れると、本来の姿に変身しスペシウム光線で撃退!という設定が受け大ヒット。ゼットンにやられてしまう最終回ではシリーズ最高、42.8%という驚異的な視聴率を記録しました。
以来、アイスラッガーでお馴染みのセブンなど、壮大な“ウルトラファミリー”の物語は誕生から約40年を経た現在でも続編が生まれており、世代を超越した支持を受けています。

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ウルトラシリーズの第3弾として開始した「キャプテンウルトラ」('67年4月)ですが、制作は円谷プロではなく東映に。後枠だからという理由で“ウルトラ”の名称は残りましたが、テイストは円谷モノとは異なっていました。
そして、「ウルトラセブン」に続き円谷プロによる「怪奇大作戦」('68年9月)がスタート。怪獣モノではなく実在した怪事件を元に“科学を悪用して罪を犯す者との対決を描くドラマ”でした。その為「セブン」などと比べると陰影に富んだ大人向きの画面になったせいか、平均視聴率22%を記録するが惜しくも6ヵ月で終了しました。
後番組として再び東映制作で「妖術武芸帳」が開始('69年3月)。時代劇ブームを起こした「隠密剣士」に怪奇モノの要素を加えた作品でしたが、僅か13話で終了(主演は若かりし日のささきいさお)。
また、「へんしん!ポンポコ玉」「快獣ブースカ」といったユーモラスな作品も人気を集めるなど、バラエティ豊かな特撮モノが夕食どきのお茶の間を賑わせていました。

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「オバケのQ太郎」は1964年に週刊少年サンデーで連載開始。後にアニメ化され“オバQブーム”を生み出しました。オバケなのに足がある、化けるのが下手で犬が大の苦手、居候なのにご飯を30杯もペロリ…こんなQちゃんの愛すべきキャラが大人気でした。
「パーマン」は学年誌で連載開始('66年12月)、翌年4月にオバQ同様アニメ化されました。藤子不二雄の代表作のひとつである冒険大作「海の王子」などと比べ、等身大のスーパーヒーローが活躍するほのぼのとしたタッチのアニメでした。
「怪物くん」のアニメ化は1968年。怪物ランドの王子さま・怪物くんが、ドラキュラ伯爵、オオカミ男、フランケンをお供につれて、人間界に留学してきて大暴れ!作品以上に、何故か“解説”として登場する映画評論家の淀川長治氏が心に焼き付いている人も多いのでは?
3作とも80年代に再びアニメ化され人気を呼びましたが、そちらしか知らない若い世代にもオリジナル版の歌は新鮮に響くはずです。

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1962年10月から始まった「パパの育児手帳」は月〜金の帯ドラマで、お昼の1時からの15分番組でした。安井昌二、小田切みき、四方晴美という実の親子が出演したホームドラマです。四方が演じる、ちょっとハスキーな声が印象的な元気で無邪気なチャコちゃんの成長していく姿を描き評判を呼びました。
そして次のシリーズ「チャコちゃん社長」からは、30分番組となってゴールデンタイムへ進出。シリーズ第4弾の「チャコねえちゃん」('67年4月)から、弟のケンちゃんとして宮脇康之が登場。次作で「チャコちゃん」シリーズは終了し、新たに宮脇康之主演の「ケンちゃん」シリーズがスタートします。その第1弾が1969年4月にスタートした「ジャンケンケンちゃん」です。
その後、このシリーズは「すし屋のケンちゃん」などのヒット作を連発、大変なブームを巻き起こし、二代目ケンちゃん・岡浩也、三代目・ケンちゃん宮沢公二と受け継がれ、1982年まで続いた長寿番組となりました。

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1983年に大ブームを起こした堀ちえみ主演のドラマ「スチュワーデス物語」。実は遡ること13年、JALの全面協力によるド根性スチュワーデスドラマが存在しました。それが「アテンションプリーズ」です。制作会社は東宝テレビ部(大映テレビではありません!)。主演は1969年に「風の中で」でデビューした紀比呂子。彼女はこの作品で一躍人気者となり、1971年には「コートにかける青春」でも主役を務めるほどの活躍をしました。
また、この頃の東宝は、高校女子体操競技がテーマの「決めろ!フィニッシュ」、バレリーナの壮絶な裏舞台を描いた「赤い靴」というスポ根ドラマも制作していました。そして、その後の“根性ドラマの雄”となる大映テレビは、意外にも「美人はいかが?」という忠津陽子のコミックを原作としたラブコメディを制作していました。主役は子役として活躍中だった奈良富士子。「忍者ハットリくん」(実写版!)にもレギュラー出演していた彼女は、後に時代劇中心に活躍しました。

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