総合TOP > リコメンドインデックス > (隔)週刊 鷺巣詩郎 > 2008/03/19 ジャコ・パストリアス
もし、ミュージシャンに「ノーベル賞」があたえられるとしたら、まず、ジャコ・パストリアスにあたえられるべきである。世界中の現役ミュージシャンが皆そう思っていることだろう。 世界一のオーケストラであるベルリン・フィルハーモニー管弦楽団。そのベルリン・フィルが毎回テーマを決めたうえで、「オーケストラ音楽を広く大衆にも浸透させるべく」野外コンサートを、毎年6月にベルリンのヴァルトビューネ公園で開催しいているのは有名だ。2003年はジョージ・ガーシュインというテーマのもと、指揮者に小澤征爾が招かれ、小澤の大のお気に入りであるジャズ・ピアニスト、マーカス・ロバーツが自身のトリオと共にベルリン・フィルとの共演を果たした。 ウィントン・マルサリスのグループで一躍名を馳せた盲目のマーカスは、あらゆる意味で驚異的なピアニスト、ミュージシャンであり、既存のクラシック楽曲に対するアプローチが画期的なことでもジャズ界ではよく知られていた。それが、あるとき最も得意とするジャズ+クラシックの昇華形でもあるガーシュインの楽曲に対する「その斬新な解釈」で小澤を驚嘆させ、以来ことあるごとに小澤とは共演していたが、ついに世界の名門ベルリン・フィルとの共演をも果たしたというわけだ。 結果は上々。もちろんベルリンっ子をはじめ世界中から集まった「マーカスを知らない」観客たちを大いに魅了したのはもちろんのこと、いちばん度肝を抜かれたのは、なんといってもマーカスのパフォーマンスをステージ上で目の当たりにした、ベルリン・フィルの面々だったという。さもありなん…最後にはミュージシャンというのはボーダーレスなものだ。 Parisの自宅で、このTV中継を見ていた僕はつくづく、こう感じたのである。(もう、じゅうぶん察しがつく流れだろうが…) 「あ〜、ジャコが生きてたらな〜、あ〜、ジャコをベルリン・フィルと共演させたかったな〜」と…ため息と同時に涙までが出てきた。 ジャコは、エレキ・ベースという楽器の可能性を飛躍的に進化させ、いや、「一気に究極まで進化させてしまった」古今唯一無比のイノヴェーターであり、また、自らそのすべての進化を実践してしまった「革命家」でもある。未来はわからぬが、これだけはわかる。ジャコが「人類史上最高のベーシスト」であり続けること。つまり未来永劫、ジャコを超えるベーシストなど絶対に現れるはずはない、という確信を皆もっているということ。 さらに「人並みはずれたインプロヴァイザー」である点もまた、ジャコを稀有なるジャズ・ジャイアントにまで昇華させている。ベーシストが「ルート(根音)を中心とするベース・ラインから逸脱して、アドリブを奏でる」様式は、ジャコが登場するまで、少なくともフリージャズ表現以外では、たったひとつの様式しか存在ぜず、その様式美のみに頼っていた。そう、同一パターンの中ですべてのジャズ・ベーシストたちが戦っていたのである(その権化というか、勝者は、これもまた今は亡きデンマークが生んだヴァーテュオーゾ(名匠)のニールス・ヘニング・エルステッド・ペデルセン)。しかし、ジャコはそのたったひとつの様式をあざ笑うかのように、いくつものきらびやかなアドリブ様式を一気に提示した。つまり、ジャコの登場が、根音を奏でる楽器、いや、低音部を奏でるすべての楽器に革命をもたらしたのである。インプロヴィゼーションとは即興だが、無規則な自由ではない。膨大なる「セオリー(理論)とディスィプリン(訓練)」の蓄積があって、はじめて可能なパフォーマンスだ。エスタブリッシュされたクラシック・ミュージシャンでさえも畏敬の念を抱くのは、優れたジャズ・ミュージシャンのこうした血のにじむような努力を知っているからである。ジャコが20歳そこそこで登場したとき、すでにジャコ・パストリアスという芸術家はすでに完成されており、強いカリスマ性を発散させていた。 ちなみに、ジャズとクラシックのミュージシャンが互いにシンパシーを持ちうるのは、「登場した時点で完成されてなければ、その優秀性は競えない」という共通認識があるからこそ。5歳で世に出ようが、50歳で世に出ようが、さらに誤解を恐れずに言えば、五体満足でなかろうとも、同条件。音楽だけで勝負ができるということだ。最初の話題にもどるが、ベルリン・フィルなどの優秀なミュージシャンの共同体とジャコをぜひとも共演させてみたかった…とは、ジャズ・ミュージシャン、クラシック・ミュージシャンなら皆思うはず。 もうひとつ、ジャコはベーシスト、つまりプレーヤーとしてだけではなく、作編曲という分野においても超人的な才能を発揮し続けた点も見逃せない。BS&Tのドラマーでもありプロデューサーのボビー・コロンビーに発掘され、エピックでリーダーアルバム(『ジャコ・パストリアスの肖像』1976)の制作をはじめるとき、ストリングス・オーケストラの参加を強く求め、自らスコアを書きたがったのも、プロデューサーからではなく、ジャコが熱望したのだろう、ということは想像に易い。ジャコがストリングス・オーケストラや、編成の大きいホーン・セクションに対する興味関心、意欲が異常に高かったことは、その作風やパフォーマンスからも明らかだ。 自作におけるオーケストレーション、ウェザー・リポートにおける自作曲の数々、ベース無伴奏ソロにおける重音のアレンジや“Sound Of Music”の挿入のしかた、きわめつけはジョニ・ミッチェルの『ミンガス』(1979)でのホーン・セクションによる倍速ビバップ・フレージングなどから、大編成への執着ぶりが、ひしひしとうかがえる。 そして、その集大成となったのが、この20世紀を代表する名盤の一枚に数えられる、この『ワード・オブ・マウス』(1981)である。「画期的なベーシストとして」「並はずれたインプロヴァイザーとして」「きわめて個性的、かつ優秀な作編曲として」のジャコ・パストリアスの才能…この名盤が、その集大成の「単なる1ページ目」になる予定であったのに……しかして。 不幸なことに2ページを待たずして、35歳の若さで逝ってしまう…こんな悲劇をいったい誰が想像したであろうか。その何ページ目かには、必ず欧州のとびきり優秀なオーケストラとの共演というページを、間違いなく刻み、それ以降も間違いなく何枚もの名盤を生み出したであろうジャコ…なにが無念か、と言って、これほど無念なことはない…ジャコ本人も、われわれも。 ただし、われわれは、この「革命的な音楽家」と同時代に生き、また、そのパフォーマンスにも幾度となく触れることができたのである。これ以上の幸せはなかろう。そして、この名盤も聴き続けることができる。 ジャコについては、まだまだ語りつくせない。また、ふたたび参加作を取り上げることにしよう。 鷺巣詩郎(さぎすしろう)