この『THE BEST OF ME』は1983年の作品であり、実質デヴィッドの70年代の仕事と作品からの蓄積、と考えるのが妥当。しかも70〜80年代のデヴィッドは音楽的に言えば、もっとも「攻めの姿勢」に富んだ「最高潮」時期でもあった。
70年代、彼が外注されたプロデュース作品から注目すべき作品群を挙げてみよう。もちろんJaye P Morganの『ST』(76年)や、Bill Champlinの『Single』(78年)などは「デヴィッド・フォスター=良質なるAOR」を証明するかのごとく秀逸な作品であるが、残念ながら商業的な成功には至っていない。
対して、Alice Cooper(アリス・クーパー)の『From the Inside』(78年、全米60位)、Hall & Oates(ダリル・ホール&ジョン・オーツ)の『Along The Red Ledge』(78年、全米27位) 『X-Static』(79年、全米33位)、Tubes(チューブス)の『The Completion Backward Principle』(80年、全米36位)などで聴けるのは、いわゆるデヴィッド・フォスター・ブランドからも、また現在の成熟期からも、ある意味あまりにかけ離れた、ひじょうにカッティング・エッジなロック・サウンドだ。が、しかしカッコ内の順位をご覧いただければ、大成功とはいかなくとも、ポップスとしては「それなりのヒット作」と呼べるだろう(シングル・カットされた楽曲は大ヒットしていることも加えておこう)。具体的には「70年代パンクの色濃い影響」、そして「80年代に一世を風靡するニューウェイヴ、ニュー・ロマンティック(ス)・サウンドの先取り」といったところか…いず
れにしても完全な白人の「縦ノリ」ロックを立脚点としたプロダクションである。
ちなみに『Along The Red〜』には、ゲスト・ミュージシャンとして、なんとGeorge Harrison(ジョージ・ハリスン)、Todd Rundgren(トッド・ラングレン)、Rick Nielsen
(リック・ニールセン)、作詞家としてBernie Taupin(バーニー・トウピン)など、信じがたい大物たちも参加している。とくにトッドとバーニーとの仕事はデヴィッドの将来に多大なる影響をあたえたことだろう。
Hall & Oatesはデビュー時と、80年代以降は一貫してルー・アイド・ソウル路線。なんと70年代のこの時期だけパンク〜ニューウェイヴ路線に寄り道するのだが、その代表2作をデヴィッドがプロデュースしているというのも面白い。だが、要所要所にデヴィッドらしい「白人音楽、黒人音楽両方の長所を備えたユニヴァーサル性」も窺える。
『Along The Red〜』最終曲を敢えてソウル・ジャズ・バラード“August Day”にしたり、同曲でトゥーツ・シールマンズにハーモニカで長いアドリブをとらせたり(クレジットはないが、どう聴いてもトゥーツである)、『X-Static』(邦題の『モダン・ポップ』は言い得て妙の名訳)の“Running From Paradise”はシングル楽曲(候補)でありながら、よくジャズ・ミュージシャンが遊びでやる「裏拍スタート」(小節アタマではなく2もしくは4拍目からイントロを始めて、オーディエンスの拍の表裏感覚をマヒさせる方法)を大胆に取り入れたり…などなど。ディテールの凝りかたは半端じゃなかった。この「先進性」「実験性」に富んだ姿勢は当時のデヴィッドの大きな特長であり、それらを音楽的にことごとく成功させているのは驚くべきことであり、特筆すべきことであった。
しかし、それらは業界の玄人たちをうならせ、振り向かせ、業界内で確固たる地位を築くには充分だったろうが…。いや、70年代のいちばん最後の年にデヴィッドは思わぬ大成功を手にする。Earth Wind & Fire(アース・ウィンド&ファイア)の“After The Love Has Gone”を作曲、プロデュース。シングル・カットされた同曲は全米2位になり、さらにはグラミーを受賞。業界だけではなく、ついに一般オーディエンスにもデヴィッドの名が知れわたったのである。しかも、この「もっともデヴィッドらしい、高度な音楽性に裏打ちされた」楽曲での大成功というのが、なにより大きかった。もちろんデヴィッド自身にとってもだろうが、業界の将来にとって、さらには後進ミュージシャンにとっても大きな進歩と大きな影響をもたらした「意義ある成功」だった。この楽曲が音楽的に「後のポップス界に果たした役割は、とてつもなく大きい」。その理由を書くと話は逸脱し、文字数が足りないので省略するが。
そして80年代、デヴィッドの快進撃がはじまる。順不同だが、Barbra Streisand、Kenny Rogers、Olivia Newton-John、Julio Iglesias、Al Jarreau, Kenny Loggins、Chaka Khan、Celine Dionなどなど。もう書ききれないほど、錚々たる顔ぶれと、輝かしい栄光の結果…まさに『キング・オブ・ポップス』まで登りつめていた瞬間(とき)であろう。
ここからは端折るしかないが、「デヴィッドの80年代を代表する楽曲は、イコール、80年代の米音楽界を代表する楽曲」となった。もはやカナダ人の彼はアメリカにとって、そういう存在にまでなってしまったのである。それがChicago(シカゴ)というグループを当時のスランプから蘇生させたNo.1ヒット“Hard To Say I'm Sorry”(82年)だ。いやはや、“After The Love〜”もそうだが、なんと美しい名曲であろうか。
90年代以降、 Whitney Houston、Michael Jackson、Mariah Carey、Madonna、Destiny's Child、 Andrea Bocelliなどを手がけるに至っては、もう書く必要もあるまい(笑)。この時期の代表曲は、自分の楽曲ではなく、あくまで「スーパー」プロデューサーとし
て音楽性のみならず「あらゆる力量」で勝負したNatalie Cole(ナタリー・コール)の“Unforgettable”(91年)に尽きるだろう。亡き父とのデュエットというアイデア自体も秀逸だが、それだけではない。ミュージシャンからエンジニア陣のキャスティングまで、プリからポストに至るまで、細部にわたる「完璧な仕事」をお膳立てしたデヴィッド、なんとこのスタンダード「ジャズ」楽曲をポップ・チャート(US総合チャート)でNo.1にしてしまう、ウルトラCの豪腕ぶりである。こうなると、ハリウッドにおけるスピルバーグ並み。つまり「アイデアすべてを実現させられる」スーパーマンであり、もう手がつけられない、ということだ。