総合TOP > お役立ちインデックス > OnGenアーカイブス > (隔)週刊 鷺巣詩郎 > 2007/01/24 マイケル・ブレッカー
マイケル(・ブレッカー)のライヴは70年代より、かなりの数を見た。中でも印象深いのは1977年に兄のランディ(トランペット)と、ドリームス時代からの盟友バリー・ロジャース(トロンボーン)の3管で来日して、日本のリズム隊と一緒にやったライブだ。当時のレコードでのブレッカー・ブラザーズはトランペット(ランディ)、アルト・サックス(デイヴィッド・サンボーン)、テナー・サックス(マイケル)というの3管編成だったから、そのレパートリーを披露したときはテナーとトロンボーンが繰り上がって音域的にかなり大変だっただろうが難なくこなしていたあたりは、さすが10代の頃から一緒にプレイしてた仲間だと思った。 そして、その時に演奏された「Funky Sea, Funky Dew」のマイケルの凄まじいテナー・ソロは、まさしく伝説的なパフォーマンスだった。曲だけでも7〜8分、カデンツァ・ソロ(曲が終止する際の独奏アドリブ)が10数分はあったのではないか…(数年後の同曲の類似パフォーマンスがYouTubeにあるので聴いてみるとよい)…とにかく、この時この曲のマイケルを見た誰もが度肝を抜かれたはず。開いた口が本当にふさがらないオーディエンスたちの驚きの表情のほうも忘れられない。 前回も書いたチャーリー・パーカー(アルト)、そしてジョン・コルトレーン(テナー)という二人の偉大な黒人サックス・プレイヤーの後継者はいずれも優秀な白人たちだ。パーカーの遺志を継いだのはフィル・ウッズ。ウッズは黒人音楽を黒人以上に具象化させることが出来る理想の白人ミュージシャン像を見事に築き、なんとパーカーの未亡人と結婚してしまったほど。コルトレーンの遺志を継いだのは、マイルスのサイドをも努めたほどのエリート中のエリート、デイヴ・リーヴマン、スティーヴ・グロスマンの二人。ウッズはビバップを完璧にスウィングさせることのできる非の打ち所のないミュージシャン。リーブマンは精密機械のようにアウトサイドを冷徹に打ち抜く正確無比なヒットマン。グロスマンはスロースターターながら恐ろしいほど狂気に満ちていく長尺のアドリブが凄まじい。 欧州に活動の場を移したアルトのウッズはともかく、少なくともテナーの次世代を担うジャズ・ジャイアントはリーブマンかグロスマンに決まりだろうと誰もが確信していた。そんな70年代初期に、マイケルは当時流行りの形態だったジャズロック・バンド、ドリームスの一員として静かに登場したのだ。この時は「まだまだ青かった」(笑)マイケルが、兄とのグループ、ブレッカー・ブラザーズを経て、あっと言う間にリーブマンもグロスマンも追い越していく数年間は本当にすごかった。最初に触れた77年のライヴもふくめ僕はそれらのパフォーマンスをレコード、ライブ両方ですべてオンタイムで体験できたのだから幸せだ。 マイケルは「ウッズのようにビバップが完璧」、「リーブマンのように精密なアウトサイダー」、「グロスマンのように狂気に満ちている」、つまりすべての要素を兼ね備えていた。しかも「メイシオ・パーカーのように超ファンキー」、「オーネット・コールマンのように破天荒」。さらに白人ロック・ギタリストのようにサックスでチョーキングまでやってしまうのだから、もう手がつけられない。音楽的に一言で表現するなら「ビバップとモードの完全なる融合、そしてディミニッシュ使いの天才」。とくにコンビネーション・オブ・ディミニッシュの技法はマイケルならではにのもので、20世紀ジャズ理論の最後の1ページを飾る「新しい理論、法則」を打ち立てたとも言えよう。 マイケルは兄のランディと共に名うてのセッション・ミュージシャンとしても活躍して数多くのアドリブを残した。だが、これが少なからず誤解を生んだのも事実だ。僕もスタジオという職場に30年も身を置いているのでよくわかるのだが、時に「スタジオ・ミュージシャン、セッション・ミュージシャン」という呼称は蔑称のような印象をあたえることがある。クラシックやジャス・ミュージシャンには「武士は食わねど高楊枝」ではないが、孤高な芸術家像を期待されるからだ。しかし、基本的にスタジオ・ワークとは「規定演技だけが求められる」場にすぎない。クラシック(ストリングス)・ミュージシャンやジャズ(ホーンズ)・ミュージシャンであれ、セクション(大人数)の一員として与えられた譜面に忠実に演奏するのが第一という仕事なのだ。そういう状況下でも「コイツにだけは8小節でもでもソロ(アドリブ)をとらせてみよう」と思わせる存在は特別であり、マイケルはあらゆるアレンジャー、プロデューサーから「主役(アーティスト)から8小節を勝ち取れる男」として認知された『セッション・アーティスト』だったのである。その勝因は、8小節(ぐらい短い意味)という限られた間奏でも、とびきりカッティング・エッジなブロウが展開できること。これもまたマイケルの非凡なる才能。 しかし…そんなマイケルが逝ってしまった。 時代的には正直ジャズという音楽がある種「出がらし」状態になってしまってからの活躍だったが、画期的インプロヴァイザーとしてテナー・サックス奏者だけではなく作曲家もふくめたあらゆるミュージシャンに膨大な影響を与えつづけたというだけで、すでにマイケルは「ジャズ・ジャイアント」の称号にじゅうぶん値する。あらゆる音楽の未来のために「理論解剖、分析しておくべき」名演を数多く残すことがジャズ・ジャイアントの証しだ。70〜80〜90年代と、マイケルはコンスタントに信じられないほど多くのアドリブ・パフォーマンスをレコード、ライブ両輪で残している。皮肉なことに「出がらし」以降の70年代からのほうがジャズは、映像もふくめた「記録(レコード)機会」が増加した。それゆえマイケルの名演も数多く残っているのが、せめてもの救いだ。 マイケルの残した名演の数々からわれわれは「これからのジャズの新しい価値観」を見出していかなくてはならない。 鷺巣詩郎(さぎすしろう)