総合TOP > お役立ちインデックス > OnGenアーカイブス > (隔)週刊 鷺巣詩郎 > 2006/06/07 筒美京平
わが国唯一のリヴィング・レジェンドである筒美京平さんの、このような仕事録は90年代後半からレコード会社ごとに何種類か出ている。正直どれを聴いても「正解」。なんとしても「聴くべき」コンピレーションだ。 光栄にも僕は京平さん(ずっと、こう呼んでいるので)の楽曲をかなりアレンジした。作曲「筒美京平」編曲「鷺巣詩郎」という連名クレジットの作品は100曲ぐらいはあると思う。同じく編曲家の船山基紀さん、萩田光雄さん、若くして惜しくも他界した大村雅朗さん等が編曲した楽曲数には及ばないが、僕も25年間ぐらい京平さんと仕事をし続けている。 はじめて仕事をしたのは1980年ぐらい、沖田浩之の楽曲。最近は2年ちょっとまえ、スウェーデンのMEJA(メイヤ)の楽曲だ。プライヴェートでも京平さんとはよく食事に行ったりするし、時には旅行に行ったりも。 メディアにあまり出たがらない京平さんだが、プライヴェートでは寡黙ということはまったくない。おしゃべりではないが、色々と話すのは大好き、とでも言うかな…さすがに長く「第一線だけで」さらに「超一流の」仕事を続けてきただけに、その話はどれも興味深く、かつ機知に富んでいる。 以下は数年前、僕が京平さんについてbmr(ブラック・ミュージック・リヴュー)誌に書いた文章を推敲したものである。 メディア露出など、ほとんど皆無に等しいどころか、我々業界の集まりでさえスピーチすることなどめったに無いことで知られる京平さんだが、大勢のまえでの壇上スピーチという超レアな機会に先日恵まれた。(昔、京都の料亭で京平さんと食事した時のこと、そこの主人に筒美京平さんですと紹介したところ、ちょっと名前と顔が売れ有名人気取りの主人が京平さんに向かって「よくテレビで拝見しております」と頭を下げたので、笑いをこらえるのに苦労した。誰もがオメーみたいな出たがりじゃないっつーの) そのスピーチを要約すると『音楽産業に身を置く我々は常に矛盾との闘いである。ひとことでミュージック・ビジネスといっても、ミュージック(アート)とビジネスとは全く相反するモノ。言い換えれば、ミュージックは夢、ビジネスは現実であり、その両立、バランス感覚を保つのは非常に難しい』というエッセンシャル、かつディープな内容。まるでその後に『自分が克服してきた、この矛盾から目を背けてはダメですよ』と叱咤激励が続きそうな、京平さんならではの仕事に対するとびきり「厳しい」姿勢を、これまた京平さんならではの「優しい」言葉と表現に包み隠した、名スピーチだった。 僕は京平さんと仕事をするたびに、その突出した「才能」、鋭い「臭覚」、聡明な「時代性」を兼ね備えた、類い稀なる音楽家ぶりを目の当たりにしてきた。日本語を単に洋楽に乗せるのではなく、日本語を器楽メロディに置き換えたうえで米英のサウンド・デザインに越境させたのは画期的だ。この偉業を英語圏以外の国において成し得たのは、日本の筒美京平が間違いなく先駆であろう。そんな作曲家としての名声より、京平さんは「ヒットメーカー」として「ヒット曲を量産」し続けることの方に、いつも舵を取っていた。そう、まさに自身が「ヒット曲作りの現場」そのもののようなヒトなのだ。 このスピーチから僕はまっさきに黒澤明監督の名文句「悪魔のように繊細に、天使のように大胆に」を思い浮かべた。一作品、一場面において、相反するどちらも「同時に」両立させなければ意味は無い。「中庸」とか「折衷」ではなく、あくまで「両立」。どちらに対しても有効な「解答」を細部まで努力して探し、見つけろということだ。 京平さんほど、現場に緊張感をもたらす作り手に僕は会ったことがない。たとえば細部にわたって完璧な演奏を要求するからである。京平さんほど、ミュージシャンから畏敬され続けられている作り手もまた居ない。それは、いかなる作品のいかなる場面でも、その要求が音楽的に核心を突いているからだ。そう、京平さんは、優しく穏やかな口調だが、とびっきり厳しいのである。 よく「音楽は【音学】じゃない。【音を楽しむ】って書くでしょ…云々」と聞く。もちろんリスナーにとっては大正解だが、作り手にとって、音楽が「楽しむ」シロモノであるわけがない。リスナーを楽しませるために、作り手がわには「血と汗と涙」に満ちた努力と労力、そして何より「厳しさ」が必要なのだ。 仕事場は絶対に「厳しく」なきゃダメだ。スタジオとは準備万端整えてのぞむ現場であり、楽器屋みたいに未熟な試し弾きフレーズが横行する場所でもなければ、「みんなで楽しむ」ぬるま湯のような場所でもない。 そんな楽器屋みたいな、ぬるま湯な現場が最近増えているが、僕はイヤだ。堪えられない。そう感じるたびに「優しい」言葉で「厳しく」叱る京平さんを僕は想う。 そう、このコンピを聴くと、現場が思いっきり厳しく緊張感に満ちていた時代の音がしている。 「良き時代」などという、これまた聴き手がわの形容は僕にはとてもじゃないが出来ない。よく日本より米英のスタジオ現場のほうが大らかで楽しいでしょ?と言われるが、まったく逆。やはり日本の現場はまだまだナマぬるい。 何度も何度もしつこいようだが、やはり一流の現場は厳しく緊張感がなければ絶対に成り立たない。 鷺巣詩郎(さぎすしろう)