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スタッフ
『The Right Stuff』
1996 Release
ダウンロード価格 各¥150(税込) |
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Stuffか・・・まず悲しい。
何がこれほど悲しいかって、それはジャコというアーティスト名を耳にしたときの感覚と同じく・・・そう、エリック・ゲイルもリチャード・ティーも「もう、この世にいない」っていう事実が、大袈裟じゃなく「どれだけ人類にとっての損失か」なんて考えちゃうぐらい、僕を憂鬱にさせ、悩ませ、立ち止まらせるのだから、もう始末におえない悲しさである。
だって、もし全員揃って生きてたら今頃どんなにスゴイだろう、どんなに楽しいだろうな〜って誰だってみな思うでしょ、やっぱ。
「全員60歳ぐらい」のStuffなんて・・・もう、まさしく理想中の理想。本当に観てみたかったよ、聴いてみたかったよ、そんなStuffを。
メンバー全員が60歳ぐらいのStuffが何故に最高か?
答えが当たり前すぎて愚問だ。だって結成当時から、それがStuffのデフォルト(標準、初期設定)なんだもの。全員20〜30代(ぐらいだと思う)の頃にレコーディングされた、このアルバムの音が、すでに全員50〜60歳ぐらいの、いぶし銀の演奏なんだもの。ある種、固定年齢なんだって、彼等の演奏年齢は。さむい例えで誠に申し訳ないのだが、えなりかずき状態(笑)。
この、当時彼等が「じつはまだ、かなり若かった」という驚愕の事実・・・じっさい好んでStuffを聞いていた僕も、当時は彼等の年齢のことなど、まったく気にに留めてなかったし、いま思えば間違いなく単に「イカしたシブいオッサンたち」というデフォルトで彼等を眺めていた。「円熟の演奏は当然」と思って聴いていたのだ。しかし時が経ち、自分が今こうして当時の彼等以上の年齢になってみて、はじめて、そうした円熟の「凄み」とか「重み」みたいなモノ、つまり「いかに彼等が当時すでに、ずば抜けて優秀なパフォーマーであったか」がジワジワと身にしみてくるのである。
さて、各人の才能についても触れよう。
まず、リチャード・ティーの「洗練」は僕にとってジョージ・ガーシュインと同等の価値がある。
そのピアノ・スタイルに対して両極端の形容がどちらもあてはまるのは、彼がいかに史上稀有なピアニストであるかを見事に証明している。いわく「洗練←→泥臭い」「優雅←→エグい」「饒舌←→ワンパターン」「流麗←→シンプル」などなど、こんな正反対の表現が、どちらもピッタリくるピアニストなんて彼ぐらいだ。違う視点から観る(聴く)ことにより、まったく違う価値を持つリチャード・ティーのピアノ・スタイルだが、僕がガーシュインを引き合いに出したのは、彼のスタイルがじつに独創性に溢れているからである。
左手でRoot(根音)を弾くスタイルはラグタイム奏法などでは昔からあったが、彼の左手のストライドはラグタイムのそれとは違ってオリジナリティーに溢れている。リチャードの左手のストライドはオクターヴ・ステップであることが多く、よりシャープで鮮明、しかもランニングはメロディックで完成度が高く、さらに、その左手のランニングと右手のコンビネーションがまた独自のメロディーを構成していく様は圧巻である。しかも同時にリズム面でも左右完璧なパラディドルを構成しているのである。さらに、さらにスゴイのは、どんなアンサンブルの中でも彼のピアノが魔法のように左右まったく独立して聴こえるのという事実である。これを洗練と言わずして、何を洗練と言うのか?
とろけるようなRhodes(エレクトリック・ピアノ)はSmall Stoneというフェーザー(エフェクター)を手元に加えた、リチャードのオリジナル・セッティングであり、後に同じセッティングを模したピアニストはあまた登場したが結局リチャードを超えるどころか「あのトロけるように美しいRhodesサウンド」を同等にモノにした追従者さえ現れなかった。
エリック・ゲイルというツワモノは、スキルとかフレージングとかスタイルではなく「存在自体がありがたい」という、まったく新しい価値観を教えてくれた唯一無比のギタリストである。彼と似たタイプのギタリスト、ベーシストにデイヴィット・T・ウォーカー、チャック・レイニーという、やはり筆舌尽くしがたいバケモノ両巨頭ミュージシャンがいる。たしかにデイヴィットもチャックも、大袈裟に言えば「たったひとつだけの神フレーズで50年仕事ができる」という、これまた「存在自体がありがたき」モノすごいミュージシャンではある。しかし、どんな曲をやっても必ず一番良い場所、そこで一音鳴らせば誰もがみな地にひれふす、最高の「場所」「音」「フレーズ」を一瞬のうちに感知してデリヴァリーすることができる天賦の才能、つまり天才ギタリストというプライオリティーが、エリックにはあった
これはデイヴィット・Tにも言えるが、エリックも「強くはじいた深い音色」なのだが、聴くものには「やさしく甘〜い音色」に聴こえるという、魔法の奏法を持っていた。「柔能(よ)く剛を制す」とは日本の柔道の極意だが、このあたりの「剛を極めてこそ柔」みたいな感覚は、優れたミュージシャンだけが持ち得る特権。甘くメロウな音楽を奏でることが出来るのは軟派ではなく、硬派ミュージシャンなのである。
スティーヴ・ガッドについては語り尽くされているだろうが、現在エリック・クラプトンとの活動がメインの彼だが、なによりエリックのスティーヴに対する半端じゃない気の遣いようを見たり聞いたりするにつけ、いかに彼が世界中のミュージシャンから尊敬を集めるミュージシャンズ・ミュージシャンであるか、という事実を痛感する。話題はStuffから逸れるが、スティーヴ・ガッドがリチャード・ティーと共に演奏する(ベースはウィル・リー)ドラムス教則DVDはStuffファンには必見、必聴である。ホント泣けに泣けます。スーツ姿でバックにフルバンドを従えてドラムスをガン叩きするヴィニー・カリュータのオマケ映像も必見!
スタジオ・ミュージシャンと優れたレコード芸術には切っても切れない密接な関係がある。それはエンタテインメントを楽しむという「娯楽性」からはかけ離れているかもしれないが、『スタジオ録音』という「音楽の歴史を刻んでいくうえで必要不可欠な記録」を後世に残していく以上、スタジオ・ミュージシャンという特異な価値観を持つパフォーマーたちの存在だけは決して忘れてはならない。エリックとリチャードの死は悲しいが、その演奏はとてつもなく美しい。 |