
もう名盤中の名盤。世界中のミュージシャンたちにとってバイブルのようなアルバム。
そして、米英のどこのスタジオに行っても、このアルバムをリファレンスとして聴くエンジニアがとても多い。つまり、ミュージシャンにとっても、エンジニアにとっても、このアルバムが間違いなく「なにかの基準」になっている。そう、一言でいえば「あらゆる角度から見ても“良い音楽”たりうる」見本。
僕はこのアルバムを「レコード芸術の沸点」と勝手に(笑)名付けている。良い音楽を、さらにコトコト煮詰めていった、というカンジがするから・・・。スタジオという空間で生み出しうる全てのパフォーマンスの沸点ということ。
さて内容に移ろう。このアルバムを「きわめてジャズ的」とする見方が大勢のようだが、じつは「きわめて非ジャズ的」な音楽だ。乱暴な表現だが、元(もと)白人ロッカーのドナルド・フェイゲンがジャズという理想を追い求めた昇華であり、メイン・ストリームのジャズ・ミュージシャンも大勢参加しているから、そういう意味では一見ジャズ的なのだが、とくにコード進行はジャズ的のようでいて、まったくジャズ的ではない。
ジャズ・ミュージシャンというのは「単調な」コードの流れの中で「複雑な」ハーモニーを独自に紡いでゆく。例えば同じ簡素なコードが付いただけのスタンダード曲のメロ譜であろうとも、アーティストによって解釈は「千差万別」であり、アーティスト毎にそれぞれ複雑なハーモニーで演奏する。解釈の差がアーティストの差なのだ。しかし、D・フェイゲンのオリジナルは最初からかなり複雑なコード進行がガッチリ構築されたものであり、その様子は70年代のプログレッシヴ・ロックのような冷徹ささえ匂う。このアルバムには確かに「Cool Beauty」が全体を支配しているが、それはジャズ屋の作るアルバム独特の「隙間を強調するような」Coolさではなく、そういうD・フェイゲンの「計算された構築美」が醸し出す冷徹さをCoolと感じるからだろう。
ただ、参加ジャズ・ミュージシャン、たとえばマイケル・ブレッカーなどは見事なまでにジャジーなスキルを強調した、まさしく最高のパフォーマンスを披露している。コンビネーション・オブ・ディミニッシュを駆使した若き日の彼のフレーズは白眉。D・フェイゲンのコード進行でメロディ楽器がアドリブをするとしたら、「完璧に」その進行について来れるジャズ・マンは数少ないだろう。この時点ではマイケルかフィル・ウッズぐらいか・・・。スティーリー・ダンの『エイジャ(Aja)』でウェイン・ショーターの名演があったが、あれは確かに名演ではあっても、完璧なアドリブではなかった。当時のウェインの「雰囲気を重視する」スタイルにぴったりハマっただけだったのだ。そう考えると、やはりD・フェイゲンには、どんな進行にもビシバシついて来るマイケルが適役だ。蛇足だが、このマイケルの器用さが逆に90年代の彼を苦悩させ低迷を助長したのも事実だ。
D・フェイゲンといえば、もうひとつ僕が必ず思い出すのが3M社のデジタル・マルチ・テープレコーダーである。アナログ2インチ・マルチ・テープレコーダーが100%主流だった当時としては画期的かつ先鋭的なマシンであり、D・フェイゲンはスティーリー・ダンのアルバム『ガウチョ』から使いだし、世界のスタジオはその話題でもちきりだったから鮮烈な記憶なのだろう。当時D・フェイゲン(スティーリー・ダン)といえば“エンジニアのエリオット・シャイナー、3M社デジタル・マルチ・テープレコーダー、シナジー(デジタル・シンセ)”が「究極の良い音を生む3点パッケージ」として世界中から垂涎の的だったのだ。
この3M社デジタル・マルチ・テープレコーダーが日本で初めて導入されたのが芝浦のアルファ・スタジオ(今は無い)、そして銀座のオンキョー・スタジオである。当時としては破格な何千万という値段だったと思う。音の良さに惹かれて僕も仕事で何度か使ったのだが、噂どおりの良い音ではあったが正直トラブルが多かった。一度など録音済みの音が飛んで(消えて)しまい大騒ぎになった悪夢のような思い出もある。その後LondonでD・フェイゲンのインタヴューを読んだら、彼も同じ経験があるとの事実を知り「時代だな〜」と感慨深かった。ちなみに3M社デジタル・マルチもシナジーも90年代に入る前に姿を消した。
しかし、このアルバムのHi-Fiとしての音の良さは素晴らしい音楽的内容とともに、むこう何百、いや何千年も決して色褪せることはないだろう。「レコード芸術の沸点」と書いたが「レコード芸術の頂点」を極めた一枚だ。 |