元祖“ショック・ロック”、アリス・クーパーの絶大なる影響力! 80年代中盤、LAメタル隆盛を足場に出現、一世を風靡したW.A.S.P.、90年代中盤以降、常々ショッキングな話題を提供し、ロック界の最前線をひた走ってきたマリリン・マンソン。そして日本のビジュアル系も直接的、間接的かは別にして、その影響下にある。そうしたバンドや、音楽ジャンル(ビジュアルも含め)が出てきたのも、間違いなくキッスと、このアリス・クーパーなる“先達”がいたからだ。今に始まったことではないのだけど、日本ではキッスに比べ、アリス・クーパーの注目度は薄く、評価も正当なものとは言えない。シアトリカルなステージングを披露するなどして“ショック・ロック”なる新音楽的造語を生んだ、アリス・クーパーのロック界に於ける貢献度、影響度は相当なものだ。
皮肉な話だけど、アリス・クーパー(本名:ヴィンセント・ファーニア)は牧師の息子として生を受けた。生まれはミシガン州デトロイト。その後アリゾナ州フェニックスに移り住み、エルビス・プレスリーを聴きロックに目覚める。ハイスクール時代に後の“好音楽パートナー”となるマイケル・ブルース(g)、グレン・バクストン(g)に出会い、バンドを結成した。’69年に『Pretties For You』(日本盤未発売)でデビュー。翌’70年に『Easy Action』『Love It To Death』を出したものの、鳴かず飛ばずだった。
アリス・クーパーが欧米のロック界を席巻するのは名プロデューサー、ボブ・エズリンのヘルプを仰ぎWarner Brothers Recordsに移籍してからだ。’71年発売の移籍第1弾『Love It To Death』からのシングル「Eighteen」が空前の大ヒットを記録、たちまちスーパースターの仲間入りを果たした。シアトリカルなステージングがウケにウケ、一見するとオドロオドロしいけど実は楽曲のクオリティは高く、メロディもフックが強いものばかりという音楽性が多くの人たちに支持され、『Killers』(‘71年/日本盤未発売)、『School’s Out』(‘72年/同)、『Billion Dollar Babies』(‘73年/同)あたりまでその勢いは続いた。その後もコンスタントに作品は発売されるも、メンバー間の音楽的方向性の相違などが露呈し、精彩を欠き、いつしかアリス・クーパーの名は聞かれなくなっていった。それからだいぶ経った80年代中盤に突如復活し、Warner Bros.時代よりもより商業色を濃くしたキャッチーな音楽性で見事カムバック、’89年発売の『Trash』をもって念願の初来日公演も行った。その後も長いインターバルは置かれるものの、今もなお現役で活動を続けている。 |