
ブリティッシュ・ハード・ロックが全盛を謳歌していた70年代終盤、その先頭に立ち、絶大な影響力を誇っていたのは、言うまでもなく“2大巨頭”ことレッド・ツェッペリンと、ディープ・パープルだった。ファンが“ツェッペリン派”と“パープル派”に分かれ、互いに刺激し合い、牽制し合うという面白い現象を生んだけど、平行して「2大巨頭も結構だが、ポジション的にはその一つ、二つ下にいる後続部隊も最高だ!!」と公言してはばからない“少数派”“マニアック派”も相当熱く、鼻息も荒かった。
そんな彼らがこよなく愛したのがユーライア・ヒープ、UFO、ナザレス、そしてこのシン・リジィらだった。そうしたバンド達は当時、本国(イギリス/スコットランド/アイルランド)では確固たる人気と評価を得、活躍の場をアメリカにまで広げるというキャリアと実績を持っていたものの、日本ではイマイチ突き抜けることが出来ず、“日陰の身”に長く甘んじるという“不遇の時代”を送った。中でも、このシン・リジィはその最たる例だったと言える。
ブラジル人とアイルランド人のハーフで、ボーカル&ベースを担当、詩人としても知られた、褐色の肌を持つフィル・ライノット。そのフィルがブライアン・ダウニー(ds)らを誘って70年代初頭にアイルランドの首都ダブリンで結成したのが、このシン・リジィだった。“Decca Records時代作”と呼ばれる『Thin Lizzy』('71年)など初期3作品から、ファイナル作となった『Thunder
And Lightning』('83年)を含めるとオリジナル・スタジオ録音作は計12枚を数え、“名実況録音盤”との誉れ高い『Live And Dangerous』('78年)など2枚のライブ盤も残している。独自の世界観を描くフィルの歌詞、耳に残るメロディや楽曲、ツインリードによる美麗ハーモニーが印象的で、ブルース、ハード・ロックを根っこに持つも、超ヘビーなナンバーから小粋なスウィング調チューンまで自然体でこなすという“音楽的柔軟性”もファンを魅了する要因の一つだった。また、ゲイリー・ムーア、ジョン・サイクスという“ギター・ヒーロー”を世に広く知らしめたのも、彼らの特性の一つだった。
そんな彼らがここ日本で正当に評価され、作品も売れ始めたのは、皮肉にもバンドが解散し、'86年1月4日にドラッグ中毒でフィルが他界してからのことだった。そのフィルは『Solo In Soho』('80年)など2枚のソロ作も残している。“2大巨頭”とは異なるスキル、形で後世に影響を与えた、“名70'sバンド”だ。
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