1988年の秋は、ノミのように小さなデザイン会社で働いていた。
フリーでイラストレーター/グラフィック・デザイナーをやっていたものの食っていけず、仕方がないから夢なかばにして就職の道を選ぶことにしたのだった。
デザイン会社といっても新富町の古いマンションの一室で、仕事はちっともおもしろくなく、でも生活のためにはがまんもしなくちゃな、というような毎日だった。
「君はどんなミュージックが好きなの?」
先輩デザイナーは、2DKの事務所で、なんだかものすごく業界人ぶっていた。
「ミュージックて…音楽といえよ音楽と!」
横文字化すればオシャレだと信じて疑わない感性が信じがたく、声に出していいたかった。が、いえるはずもなく、「そうですねえ…」とテキトーに話を合わせていた。
事務所ではいつも、新しく開局したFM局がかかっていた。
「『J-WAVE』っていうんだけどさあ、しゃべりが少なくてミュージック主体なんだよね」
先輩デザイナーが説明してくれた。とっくに知っていた。が、そんなことがいえるはずもなく、「そうですねえ…」とテキトーに話を合わせていた。
森のなかにいるような気分にさせてくれる、柔らかくて不思議な曲が日に何度もかかった。
「Orinoco Flow」というその曲のことがどんどん気になってきて、やがてそれがはいっているCD『Watermark』を買った。
歌っているエンヤという人が、アイルランドの兄弟グループ、クラナドに在籍していた(妹なんで)ことをあとから知り、納得したおぼえがある。ソロになってから「The Celts」という曲をヒットさせ、そして『Watermark』でブレイクしたという経緯。
インストゥルメンタルの「Watermark」。
広い大地をイメージさせる「Storms In Africa」。
「Orinoco Flow」以外では、そのあたりが印象的だった。うまくいかない日常からくるストレスを、すーっと和らげてくれるようで。
以後何年か、いくつかのデザイン会社や広告代理店をわたり歩いた。すこしずつだが、自信もついていった。結婚したのもそのころで、同じ年にエンヤは『Shepherd Moons』というすてきなアルバムを出した
そんなこともあり、個人的にはこのアルバムって印象がいちばん大きい。タイトル曲の「Shepherd Moons」や「Ebudae」、「Book Of Days」、「Marble Halls」などなど、好きな曲がたくさんあった。なかでも「Caribbean Blue」を聴くと、いまでもみずみずしい記憶がよみがえってくる。
基本的にエンヤの曲は、どれもほとんど同じである。にもかかわらず、個々の楽曲にはっきりと際立つ部分がある。特に個人的体験とリンクする部分があったわけではないのに、'95年作『The Memory of Trees』内の「Anywhere Is」や「China Roses」あたりまでもが鮮烈な記憶となって残っているのはその証拠。
しかし考えてみると'00年の『A Day Without Rain』以来、エンヤはアルバムを出してませんね。
CMにも使われた名曲「Wild Child」以下、「Orinoco Flow」を彷佛させる「Flora's Secret」や「Silver Inches」、やはり森のなか系な「Fallen Embers」や「Pilgrim」など、あのアルバムもいい曲満載なんだけど、そろそろ新作を聴いてみたいなという気もする。
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