つい先ごろ、加藤和彦が先導した国内屈指のロック・バンド、サディスティック・ミカ・バンドの『黒船』を取り上げさせていただいた。ところが、あれからまだそれほどの時間がたっているわけではないというのに、今回もまたもや加藤作品のご紹介である。
ちょっとバランス悪いかな? だけど、いいものはやはり取り上げておきたいのだ。
結果的に時代の一歩先を進みながら、彼がクリエイティヴな作品をリリースし続けてきたことは間違いないから。それは意図したものではなく、おそらく無意識で感覚的なものだろうけれど(つまり、センスというのはそういうもの)。
加藤和彦のキャリアは、60年代に活躍した国内初のフォーク・ロック・バンドであるフォーク・クルセダーズ時代にまでさかのぼる。
1967年に大ヒットを記録した究極の脱力系ソング「帰ってきたヨッパライ」を筆頭に、先ごろ復刻されて話題を呼んだ「イムジン河」、「イムジン河」が発売禁止になったため同曲のコード進行に細工をして別の曲に仕立てた「悲しくてやりきれない」など、フォーク・クルセダーズは日本のポップ・ミュージック史上に残る数々の実績を打ち立ててきた。
'68年の解散後は、ソロ・アーティストとして『ぼくのそばにおいでよ』('69年)を筆頭とする作品をリリース。この時期にはアシッド・フォークからアート・ロックまで、当時の最先端のモードを取り入れた完成度の高さによって、他の追随を許さない強烈なオリジナリティを確立させている。
そしてその後、サディスティック・ミカ・バンドを結成。
『黒船』の項でも触れたのでここでは詳細を省くが、この時代にも明らかに他の国内バンドとは違う完成度の高さをまざまざと見せつけることになった。
ちなみにミカ・バンド解散後はソロ・アーティストとして独立すると同時に、作曲家としても幾多の作品に関与。アイドルの楽曲から舞台、映画音楽までを 幅広く手がけ、豊かな才能を惜し気もなく発揮してきた。
という経歴からも推し量れるように、いつの時代も国内ミュージック・シーンの中心に近い位置に居続けたアーティストが彼なのである。というよりも、国内シーンの発展について語るとき、彼の名は決して無視することができないといった方が適切かもしれない。
そんな彼が、70年代後半から80年代初頭にかけ、大きなチャレンジを試みた。
バハマ、ベルリン、パリと海外でレコーディングを行った3部作『パパ・ヘミングウェイ』('79年)『うたかたのオペラ』('80年)『ベル・エキセントリック』('81年)のリリースである。
なかでも最終作にあたる『ベル・エキセントリック』は、ニューウェイブ全盛期の空気感とヨーロッパ的な退廃感とをミックスさせ、完全なオリジナリティにまで昇華させた作品としてもっとも注目に値する。
レコーディングはパリのシャトウ・スタジオで、バック・ミュージシャンにはYMO、矢野顕子、大村憲治、清水信行らが参加。作詞は妻であった安井かずみ。考えうる最高のキャスティングによって構築された、あたかもモザイクのような、さまざまな色彩を備えた最高傑作である。
力を与えられる…というタイプの作品ではない。
悲しくなってくる…というのもちょっと違う。
しかし普遍的であり、どこをとってもクリエイティヴ。この人の頭のなかにあった理想像を、ほぼ完璧なかたちで音にしたというニュアンスがある。
それから、この時期の加藤作品といえば無視するわけにはいかないのがアートワークの素晴らしさだ。特にこのアルバムからは金子國義の絵が採用されることになり、『Bolero California』まで続く金子作品は、加藤和彦のアルバムのアイコンとさえいえるものになった。
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