総合TOP > リコメンドインデックス > 富澤一誠のフォークが好き! > 2008/04/23 泉谷しげる
泉谷しげるを私が初めて見たのは、1971年の夏ごろ、渋谷のライブハウス「ジャンジャン」でだった。今でもそのときの光景はまぶたに焼きついている。ギターをわしづかみにして、いきなりステージに駆けのぼり“死ね 死ね…”というリフレインのある「自殺のすすめ」など数曲を怒鳴るようにしてうたって嵐のように去っていった。なんだ、あいつは? と、私はただあぜんとするばかりだった。自分のいいたいことを好きなだけいって去ってしまっただけに、ただ驚きだった。二度目に見たのは、その年の秋、渋谷の東横ホールで開かれた<唄の市旗揚げコンサート>でだった。そのコンサートでは、先輩格の吉田拓郎、小室等と六文銭をさしおいて、泉谷がトリを取ってしまった。しかも、すべての客を引きつけアンコールを3回もしてしまうほどだった。まだレコード・デビューもしていないズブの素人が、1000人以上の客を興奮の坩堝に放り込んでしまうなぞ、まさに前代未聞の出来事だった。 そしてそれは、その1カ月後にワンマン・リサイタルを開くに至って頂点に達した。そのリサイタルのもようを収録したのが『泉谷しげる登場』という彼のデビュー・アルバム(71年10月25日発売)となる。これまでに私はたくさんのアーティストの誕生に立ち会ってきたが、泉谷のように下から猛烈な勢いで出てきた例を知らない。そこには、どん底からはい上がろうとする強力なエネルギーの噴出を感じないではいられなかった。 彼は幼年期から青年期まで食うや食わずのどん底生活をしてきた。そんな彼が必死の思いでどん底からはい出そうとしたことは想像に難くない。そんな反動エネルギーが、“歌”というひとつの突破口を見つけたとき、そのひとつの穴から強烈なエネルギーを噴き出したとしてもなんら不思議はない。彼の歌が突破口を見いだせないでいたブルーカラー、学生の胸を打ったのは、まさに当然の結果といえる。 彼はデビューした後、猛烈な勢いで突っ走った。そして「春夏秋冬」(72年9月25日)でたくさんの人々のハートをつかんだのだ。