総合TOP > お役立ちインデックス > OnGenアーカイブス > 富澤一誠のフォークが好き! > 2008/04/09 吉田拓郎
広島在住のフォークのサークル同士が、もっと横の連絡を取り合い力を合わせてやっていこうという趣旨で“広島フォーク村”が結成された。地元広島では既に顔だった吉田拓郎は、広島フォーク村の“年寄”(相談役か顧問といったところ)の地位につき、実質的なリーダーとなって、1968年12月23日の開村式にはトリを受け持ち大喝采をあびた。この開村式を通じて、拓郎は完全に広島のスターになったといえる。のちのデビュー曲になる「イメージの詩」もこのときにうたわれており、ここでも大変な人気を呼んでいる。こうして広島フォーク村で活動しながら、中国放送のDJやら、NHKに出演したりしていたが、まだ完全なプロとはいえなかった。 そうこうしているうちに、大学4年になって就職を考えなければならない時期を迎える。就職は一応河合楽器に内定していたが、偶然にも広島フォーク村にレコード化の話が舞い込んできた。といっても、本格的なレコード会社からの申し入れではなく、上智大学で学園闘争に取り組んでいた人が、闘争資金を得るためにと企画したものだった。理由はどうあれ、拓郎は「面白い」とその話にすぐに飛びつき、広島フォーク村の人たちをたきつけ、レコーディングしてしまう。これが70年4月25日にエレック・レコードから発売されたオムニバス・アルバム『古い船をいま動かせるのは古い水夫じゃないだろう』である。このアルバムの中でうたった「イメージの詩」がきっかけとなって、エレック・レコードから誘いをかけられる。そして「イメージの詩」でデビュー。B面は「マークU」。 当時エレック・レコードの専務兼プロデューサーだった浅沼勇さんは語る。 「『イメージの詩』を聴いたとき、“この男に賭けてみよう。ひょっとしたら大変な男になるかもしれない。少なくとも1年や2年賭けてみる価値のある男だろう”と結論を出すのに、時間はかからなかった」 こうして吉田拓郎と浅沼勇プロデューサーの二人三脚は始まったのである。