総合TOP > リコメンドインデックス > 富澤一誠のフォークが好き! > 2008/02/13 八神純子(1)
1978年初夏、八神純子は札幌でコンサートをするために千歳空港に降りた。空港に着いたとき、彼女は気分的に落ち込んでいた。スケジュール的にきつくて疲れていたためだ。その気分も、空港から札幌へ向かってドライブしているうちに次第に晴れてきた。 気分が上向きかげんになったそのとき、突然素晴らしいメロディが彼女の口をついて出た。それが「みずいろの雨」の頭のフレーズだった。むろんこのときはまだメロディだけで詞はなかったが……。 空港から札幌へ向かう車の中で、こうして「みずいろの雨」の原曲はできあがった。同じ頃、東京では彼女の担当ディレクター・日朝幸雄さんが彼女の新曲について思いをめぐらしていた。「思い出は美しすぎて」「さよならの言葉」と二枚出したシングルは彼が期待した以上には売れなかった。 分析して彼が出した結論は「八神の書く詞は口語体でわかり易いが濡れたところがない。なんとかして濡れた感じを出し、しっとりとせまりたいものだ」ということだった。 そんな彼の所に八神が「今度のシングルはこの曲でいきたいんですけど」とできたばかりの「みずいろの雨」を持ってきた。一度聴いただけで「これはいける」と直感した彼は、ますます濡れた詞の必要性を感じた。濡れた詞を書ける作詞家はいないかと考え抜いて、彼の脳裏に“三浦徳子”という名がひらめいた。三浦とコンタクトを取り、「みずいろの雨」のメロディを聴かせ、彼は“濡れた詞”を注文した。詞ができあがってきたとき、八神は「これしかない」と思ったという。 「めぐり逢ったんだと思いました。私は『みずいろの雨』のメロディを土の中に眠っていたものを掘り起こすように見つけました。同じように、三浦さんの詞も三浦さんが掘り起こしたものです。あの詞と曲はめぐり逢うべくしてめぐり逢ったと思います。」 運命的にめぐり逢った「みずいろの雨」(78年9月5日発売)は、それにふさわしく60万枚の大ヒットとなったのである。