総合TOP > リコメンドインデックス > 富澤一誠のフォークが好き! > 2007/09/12 高木麻早
〈ポピュラー・ソング・コンテスト〉はヤマハ音楽振興会が主催するわが国最大規模のアマチュア・コンテストだった。それだけたくさんのアマチュア・ミュージシャンたちが応募し、結果的にヤマハの元には良い情報が集まることになった。それに伴って、その情報を早く得ることが、各レコード会社のディレクターにとって、ヒットを生み出すための必要条件となった。 そんな中でヤマハから“特権”を得ていたのがキャニオン・レコードの渡辺有三ディレクターだった。彼はポプコン出身のもとまろの「サルビアの花」をヒットさせたことが高く評価され、ヤマハの現場のスタッフに信頼されていたからである。だから、彼の元には早く情報が届けられたのだ。 「ヤマハの方から、名古屋に高木麻早という素晴らしいアーティストがいますよ、という情報をもらったので、すぐに名古屋に飛んで行ったんです。で、何人かが出るアマチュア・コンサートで麻早を見て、そのボーカルの声質に惚れたんで、ぜひぼくにやらせて下さいと申し込んだんです」 そのとき麻早はポプコンにエントリーされていた。そのためにポプコンが終わるまでヤマハの返事は一応“保留”という形になった。コンテストが終わる前にデビューが決まっていたのでは“アマチュア”ではなくなってしまうからだ。 「ところが、困ったことが起きたんです」と、渡辺さんは述懐する。 「ポプコン中部大会で麻早がグランプリを取って本選会に出ることになってしまったんです。正直いって、困ったなって思いました。本選会に出ると各レコード会社のディレクターも目をつけるでしょう。そうなると争奪戦になってしまうからです」 本選会で麻早は「ひとりぼっちの部屋」をうたって入賞した。当然ながらレコード会社数社からスカウトの申し入れがあった。しかし、ヤマハのスタッフと渡辺さんの信頼は崩れなかった。こうして彼女はキャニオン・レコードから1973年9月10日に「ひとりぼっちの部屋」でデビューした。彼女のボーカルを最大限に生かしたカントリー・タッチのアレンジも功を奏し「ひとりぼっちの部屋」は30万枚を超えるヒット曲となった。このヒットにより、彼女は一躍、五輪真弓と並ぶ“女性シンガー・ソングライター”の旗手となったのである。