総合TOP > お役立ちインデックス > OnGenアーカイブス > 富澤一誠のフォークが好き! > 2007/08/22 雅夢
雅夢(メンバーは三浦和人、中川敏一のふたり)は、1979年秋の<第18回ポプコン中部地区大会>に初めて出場したが、入賞はできなかった。そのとき三浦は思ったという。 「グランプリを取った曲を聴いていると、やはりインパクトが強くなければならない。つまり、売れ線でなければならないと実感しました。それからはコンテストで勝ち抜くために、たくさんのヒット曲を分析して研究しました。その結果、わかりやすいメロで聴きやすく、そのうえ日本人の良心に訴えかける叙情性がないとダメだということに気づいたんです。そんな研究の中から生まれてきたのが『愛はかげろう』で、この曲はサビのフレーズ“愛はかげろう 束の間の命”が初めに詞、曲一緒に出てきました。後はメロにあった響きのいい言葉を捜すだけでした」 「愛はかげろう」は彼の思惑通りに地区大会を勝ち抜き、<つま恋本選会> でも優秀賞を受賞して、第11回<世界歌謡祭>への出場権も手に入れた。しかし、彼らはその出場権を放棄した。実は彼らなりの“計算”があったのだ。三浦は語る。 「正直いって、グランプリは取れないだろうと思っていました。<世界歌謡祭>の傾向から見てまず無理だと冷静に判断しました。それと『愛はかげろう』は時期的に秋から冬の歌なんです。ところが、<世界歌謡祭>に出てしまうと、どう早くレコードが出ても11月終わりか12月初めになってしまう。すると冬になってしまい、出すタイミングを逃してしまうんです。いろいろ考えて、やはり時期を逃すのはまずい。それがひとつの流れならば、今デビューした方がベターだと判断したんです」 こうして「愛はかげろう」は80年9月25日に発売された。「情景が目に浮かぶ素晴らしい曲だった」(田中彰ディレクター)ことも手伝って70万枚を超える大ヒットとなった。その意味では彼らの計算は的中したといっていい。