総合TOP > お役立ちインデックス > OnGenアーカイブス > 富澤一誠のフォークが好き! > 2007/04/25 松山千春(2)
高校卒業を控えて、松山千春の心は振り子のように揺れていた。経済的な理由で大学進学をあきらめなければならない。友だちが受験勉強に、就職試験にと悪戦苦闘しているなかで、いらだちをまぎらわすかのように、毎日スマート・ボールやマージャンばかりに若さのエネルギーを発散させていた。 「おれはいったい何をやったらいいのか? まるで見えていなかった。しかし、おれは昔から自信のかたまりのような男だったから、今にみていろ、という気持ちだけは強かった」 このころ作った「かざぐるま」。千春は自らを“風車”にたとえて“まわれ まわれ いつまでも”と叱咤激励していたのだ。 千春のデビュー曲「旅立ち」は北海道で大ヒットした。北海道だけで5万枚を売り上げ、札幌のSTVラジオのベストテンでは数週間にわたってトップを独走した。それだけに、千春の次のシングルに賭ける意気込みはすさまじかった。 ニュー・シングルの候補曲は「かざぐるま」と「銀の雨」の2曲あった。初めのうち、千春は「銀の雨」をレコードのA面にしたいと思っていた。なぜなら、「銀の雨」は「旅立ち」の線上にあるテンポのいい曲でシングル向きのハデさがあったからだ。しかし、STVラジオの故・竹田健二ディレクターは「かざぐるま」をあえてA面にした。千春にとって竹田は“育ての恩人”だった。だが、恩人の決定に千春は不満だった。 「今考えると“かざぐるま”をA面にしたことがラッキーだった。ああいうじっくりとうたいこめる歌を出したことで、千春はなかなか骨のある歌をうたえるじゃないかと見直されたからだ。それまではおれの背景(北海道についてうたう)ばかりが評価されて、歌は評価されていなかった。竹田さんの決断はおれにとって本当にラッキーだったと思う」 「かざぐるま」(B面は「銀の雨」)は千春の2枚目のレコードとして発売されたが、セールス的にはあまり芳しくなかった。だが、この曲によって、ひょっとしたら松山千春は本物のフォーク・ソングをうたえる歌手かもしれない、という評価がマスコミに出始めたのはプラスだった、のである。