総合TOP > お役立ちインデックス > OnGenアーカイブス > 富澤一誠のフォークが好き! > 2007/03/28 ソルティー・シュガー
ソルティー・シュガーのレコード・デビューは1969年12月の「あゝ大学生」だった。だが、この曲は予想を大きく下まわり、わずか3000枚しか売れなかった。山本コウタローは「もうこれで終わりだ」と思ったという。しかし、ソルティー・シュガーは、しゃべりのうまいグループだったので、ラジオの公開録音番組から声がたくさんかかり、これで救われた。だから、ビクター・レコードも整理(クビ)できなかったのだ。 ソルティー・シュガーは山本、池田謙吉、手塚通夫、佐藤敏夫の4人で結成された。その活動はかなり積極的で、池田が東大の弁論部だったので、その関係から各大学の文化祭にねじ込んでうたったりした。 70年の年も明けてまもないころ、ある中華料理店の2階で彼らは待ち合わせをしていた。そのとき、山本がただひとり遅刻した。そんな彼を思い浮かべながら、池田は“走れ走れ”とばかりに「走れコウタロー」を作った。当時、競馬がブームになりかけていたころで、深井静史ディレクターは「面白い、これはいける」と判断してレコード化を決めた。 九死に一生を得た、と喜んでいた彼らに突然悲報が訪れた。昨日まで元気で活動していた池田が急死したというのだ。このとき山本は本気で「辞めよう」と思ったという。だが「このレコードがでている間は続けてほしい」という池田の母親の願いを聞いて「それでは1年間だけやってみよう」ということで、メンバーに高橋隆を補充してソルティー・シュガーは続けられた。そうしたら“エーこのたび、公営ギャンブルを、どのように廃止するか…”という美濃部東京都知事の物まねのセリフが受けて、「走れコウタロー」(70年7月5日発売)はあっという間にミリオンセラーになってしまった。 1年間、彼らは走りに走り、暮れにはレコード大賞新人賞までさらってしまった。そして予定通りに1年間で解散してしまったのである。