総合TOP > お役立ちインデックス > OnGenアーカイブス > 富澤一誠のフォークが好き! > 2007/02/28 オフコース(2)
オフコースが“現実の壁”を知ったのは、1974年春に杉田二郎がすべての音楽活動を休止して山ごもりをしてしまったときだ。小田和正はしみじみと語る。 「そのころのぼくらの仕事といえば、(杉田)二郎ちゃんのバックだけだった。二郎ちゃんのコンサートにくっついてまわり、たまにその中で2曲か3曲うたわせてもらっていた。だから、はっきりいえば二郎ちゃんに食べさせてもらっていた。その二郎ちゃんが突然いなくなっちゃう。やばい、これはどうにかしなければ……と思った」 このとき、坊っちゃん的オフコースは初めて“現実の壁”を知り、めざめた。と同時に、自分たちがもうエリート・コースからはずれた本当の意味での“OFF COURSE”であるという現実も認めなければならなかった。そのとき、彼らは初めて気がついたのだ。純粋に音楽を追求することも大切だが、プロであるからには“売れる”ことも必要であると──。そう思ったとき、彼らはひとり歩きを始めたのだ。 そんなひとり歩きの“第一歩”が75年12月10日に発売したシングル「眠れぬ夜」、アルバム『ワインの匂い』だった。このシングル及びアルバムで、オフコースは軽快で気軽に聴けるポップスになった。それまでの彼らはどちらかというと、ハイ・センスではあるが難しすぎた。だから、そんなにポピュラリティーはなかったのだ。 結果的に、これは成功だった。なぜなら、シングル、アルバムともに少しばかり売れ、それに伴いオフコースを取り巻く状況が良くなったからである。こうして彼らは“現実の壁”を破って“夢”に向かって第一歩を自信を持って踏み出したのだった。