総合TOP > お役立ちインデックス > OnGenアーカイブス > 富澤一誠のフォークが好き! > 2006/12/27かぐや姫(1)
「神田川」ができあがったとき、南こうせつ、山田パンダ、伊勢正三の3人ともひそかに「いい曲だ」と思っていた。特に作曲したこうせつは、作詞家の喜多条忠から詞を受け取ったときピンとくるものがあったという。 「喜多条さんから詞をもらって読んだ瞬間、これは素晴らしい詞だと思いました。読み終わって一秒とたたないうちに、メロディがモノクロームの情景とともに浮かんできた。ぼくも昔はアパート住まいをしていたから、銭湯にもよく通っていた。だから“洗い髪が芯まで冷えて小さな石鹸カタカタ鳴った”などというイメージは、教えられなくても脳裏に浮かびあがってきました。こんな世界こそ、ぼくの書きたかった詞だし、ぼくのうたいたかった歌だったんです」 「神田川」の詞は、こうせつを刺激し、曲をつけさせた。このとき、喜多条はラジオの台本を書いていた無名の若者にすぎなかった。だからこそ、自分たちの典型的な四畳半の貧しい生活をうたった歌が、それぞれの心をとらえたのだろう。 特に、こうせつを刺激した、若かったあの頃は怖いものは何もなかったが、貴方のやさしさだけが怖かった、というラストの部分は、愛の真理というものをとらえていて素晴らしかった。はからずも、こうせつがいっているように、詞を読んですぐイメージが浮かび、一秒とたたないうちに曲が浮かんできたということは、それだけ強烈だったということだ。 こうせつ、喜多条という無名のふたりの青年のバイオリズムがぴったり合ったところに“名曲”「神田川」は生まれたのである。 しかしながら、「神田川」は初めはシングルとして発売される予定はなかった。シングルはあくまで「僕の胸でおやすみ」だったので、1973年7月に発売されたかぐや姫のサード・アルバム『かぐや姫さあど』の中の“1曲”として扱われていた。しかし、2カ月後の9月20日に急遽シングル・カットされ、あっという間にミリオンセラーになってしまった、というエピソードを最後に付け加えておこう。