総合TOP > お役立ちインデックス > OnGenアーカイブス > 富澤一誠のフォークが好き! > 2006/11/22マイ・ペース
1974年──当時ビクター・レコードの若手ディレクターだった岩田廣之さんは新人アーティストを物色していた。そんな彼のところにフォーク専門誌「ヤング・ギター」の山本隆士編集長が、ある“情報”をもたらした。若者たちに圧倒的な人気を誇っていた「ヤング・ギター」の編集長の情報だけに彼はすぐさま飛びついた。 「山本さんから岐阜にマイ・ペースという3人組のフォーク・グループがいて、もともとは秋田県出身なんだけど、同じ秋田県出身の山平和彦のバック・バンドを今やっている。彼らはとてもいいものを持っているから一度聴いてくれないか…といわれたんです。で、岐阜に行きました。すると田んぼの真ン中にマンションがあって、そこで彼らは山平と合宿生活をしていたんです。そのとき、聴かされたのが“東京”でした」 これは後日談だが、マイ・ペースは、山本から「東京からビクター・レコードのディレクターが訪ねて行く」と聞かされていたので“売れ線”の曲をわざわざ作って持っていったのだ。 「“東京”を聴かされたとき、正直いって、何だこれは? と思いました。当時、自然に帰ろう運動がはやっていて東京なんか人の住む所じゃないという風潮があった。ところが、彼らは“君の住む美しい都”“君の住む花の東京”と堂々とうたっていた。東京者にはわからない田舎者の東京に対する憧れというかイメージ…そんなインパクトを感じました。それで、やろう、と決めたんです」 こうしてマイ・ペースの「東京」は74年10月25日に発売された。と同時に、森田貢、根次男、伊藤進の3人は山平のバック・バンドから独立した。 「“東京”はノン・プロモーションだった」と岩田さんは述懐する。 「当時うちの主流は演歌、歌謡曲でしたから会社からは注目されませんでした。ところが、名古屋の深夜放送で盛り上がったことがきっかけで全国の有線放送のリクエストに飛び火して…ロングセラーになったんです。トータルは百万枚ぐらいでしょう。今、考えると自然発生的ヒットというか、神様が世の中に出してくれたとしか思えません…」