総合TOP > お役立ちインデックス > OnGenアーカイブス > 富澤一誠のフォークが好き! > 2006/10/11 及川恒平
小室等は才能のある若手を見つけて伸ばすことに長けている。つまりプロデューサー能力に優れているということだ。 小室が見いだした才能に及川恒平がいる。彼は1948年8月14日に北海道で生まれた。青山学院大学文学部在学中に劇団で活動しているときに小室等にスカウトされ“六文銭”に加入した。 小室は恒平をかわいがり鍛えた。いち早く恒平に作詞の能力があることを見抜いた小室は、まず恒平に詞を書くことから始めさせた。そんな背景があって、ヒット曲の「出発の歌」がある。三浦光紀プロデューサーが「出発の歌」の裏話を披露する。 「『出発の歌』はもともと恒平とは違う人が詞を書く予定だったんです。ところが、締め切りまでに間にあわなくて…。それでしかたがないので恒平にピンチヒッターをさせたんです。しかもポピュラー・フェスティバルに向かう新幹線の中で恒平に作らせたんです」 こうして間にあわせで作った「出発の歌」だったが、<第2回世界歌謡祭>参加日本代表曲を選考する<合歓ポピュラー・フェスティバル>でグランプリを受賞。続いて日本武道館で行われた<第2回世界歌謡祭>でもグランプリを受賞して、あっという間に大ヒットしてしまった。これによって、及川恒平も注目された。 小室の偉いところは、恒平の作詞の才能を見いだしただけではなく、作曲もするように、と勧めたことだった。「出発の歌」で自信をつけた恒平は、小室の勧めを素直に受け入れた。そうしてできあがったのが「面影橋から」だった。“面影橋から天満橋 天満橋から日影橋”で始まるフレーズは斬新な叙情性を帯びていて六文銭の“名曲”と高い評価を受け、吉田拓郎もコンサートで取り上げたほどだ。そして、六文銭解散後、この名曲の「面影橋から」は及川恒平のソロ・シンガーとしてのデビュー曲(72年11月10日発売)となったのである。 *『引き潮』収録の「面影橋から」等の旧曲は、新しい編曲によるニュー・バージョンです。