総合TOP > お役立ちインデックス > OnGenアーカイブス > 富澤一誠のフォークが好き! > 2006/08/23 因幡晃
因幡晃に初めて会ったのは1976年11月のことだった。そのとき私は「GORO」という雑誌にレコード大賞の内幕を暴くという記事を書くために取材していたのだが、その取材でどうしても彼に会わなければならなかったのだ。というのは、「わかって下さい」が60万枚以上の大ヒット曲になっていたにもかかわらず、レコード大賞の新人賞にすらノミネートされていないのはおかしいと思ったからだ。初対面にもかかわらず、彼は本音を聞かせてくれた。 「レコード大賞なんか欲しくない。ぼくは自分の生きざまなり考えなりを、自分で詞を書いて曲をつけて歌っている。その意味では、自分の歌だという誇りがある。それをポーズばっかりつけている歌謡曲歌手の人たちと一緒に評価して欲しくない」 彼は75年10月の<第10回ポプコン>に自作の「わかって下さい」で出場。最優秀曲賞を受賞し、さらに同年11月の<第6回世界歌謡祭>でも見事に入賞した。それがきっかけとなり、76年2月に「わかって下さい」でデビューした。この曲を作った頃、彼は鉱山技師として働いていた。この曲ができた背景を彼は説明する。 「あの頃、美しい女子大生と出会い、恋に落ち、そして突然の別れがやって来た。あの人と別れた後、別れがもたらした様々な心の衝撃を書きとめておかずにはいられなかったんです」 こうして生まれたのが“名曲”の誉れが高い「わかって下さい」だが、この歌は“女言葉”で歌われているのも特徴だった。 「あの人と別れてから、あのときこのときのあの人の気持ちを、自分勝手な想像ではなく、できるだけ正確にとらえ直してみた。そうしてとらえたあの人の気持ちを詞にとどめたんです。あのときのあの人の気持ちはこうじゃなかったのかなあ、という詞だから、それは当然女言葉になるんです」 また、彼はデビューしても東京には住まないで故郷・秋田県大館市に住む“故郷主義アーティスト”の先駆者でもあった。