総合TOP > お役立ちインデックス > OnGenアーカイブス > 富澤一誠のフォークが好き! > 2006/07/12 ザ・フォーク・クルセダーズ
ザ・フォーク・クルセダーズの自費制作アルバム『ハレンチ・ザ・フォーク・クルセダーズ』は300枚作られたが、無残にも200枚が売れ残ってしまった。プレーヤー兼マネージャーだった北山修は「制作費の23万円が回収できない。なんとかしなければ」と思い、ラジオ局に持ち込んでみた。すると反応があった。 ラジオ関西の高梨美津子ディレクターが1967年11月5日に<若さでアタック>という番組で「帰って来たヨッパライ」をオン・エアしたのだ。その直後からすごい反響で曲に電話やはがきが殺到した。その反響に目をつけたのが同じラジオ関西の西内隆ディレクターである。彼はさっそく11月8日の<電話リクエスト>で流した。するとあっという間に大反響を呼び、翌週はリクエストで第2位、翌々週にはついにリクエストのトップになってしまった。以降、独走は続く。レコードを作ってみたいという彼らの気まぐれがいくつかの偶然と重なり、その結果「帰って来たヨッパライ」は関西地区での大ヒットとなった。 そのうわさはいち早く東京にも伝わり、日本楽器、山野楽器には「レコードはないか」という問い合わせが数多く寄せられ、ニッポン放送の高崎一郎が<オールナイト・ニッポン>で取り上げたところ爆発的な人気を呼んだ。そしてレコード会社間で前代未聞のすさまじいフォークル争奪戦が展開されたのだった。 「帰って来たヨッパライ」は67年12月25日に東芝レコードから発売された。アングラ盤の出現からわずか2カ月目というスピーディーさだ。それだけ前評判が高かったわけだ。 「年内だけで、ということは1週間ほどで、なんと150万枚も売り上げてしまったんです。そして翌年の1月末になると180万枚を記録しました。これは新記録でした」 高嶋弘之さん(当時のフォークルの担当ディレクター)がいうように、「帰って来たヨッパライ」は180万枚という“空前”のレコード・セールス記録を樹立した。 それに伴ってラジオ、テレビ、新聞、雑誌などあらゆるマスコミが彼らを取り上げた。フォークルは音楽界のみならず社会にも大きな衝撃を与えることになる。こうして、フォークルと「帰って来たヨッパライ」はいつしか“社会現象”にまでなってしまったのである。