総合TOP > お役立ちインデックス > OnGenアーカイブス > 富澤一誠のフォークが好き! > 2006/06/14 加藤登紀子
「ひとり寝の子守唄」をヒットさせたことにより、加藤登紀子は単なる“シンガー”から脱皮し、独自の世界を持つ“アーティスト”に成長した。 そんな彼女だからこそできたのが『日本哀歌集』という企画アルバムだった。これは北は北海道から南は沖縄まで、各地に伝わっている、いわゆる“名曲”を発掘して、彼女がうたうことで新しい息吹を吹き込もうという企画だった。そのために彼女及び制作スタッフは血眼になって曲を探した。そんな中から「知床旅情」「琵琶湖周航の歌」「西武門哀歌」などが選ばれ『日本哀歌集』というアルバムが作られた。そのアルバムから「知床旅情」が1970年11月1日にシングル・カットされた。 「この曲はお登紀さんが北海道に行ったときにどこかの船の中で聴いて持ってきたんです。シングル化にあたっては、彼女のお父さんに勧められたようです。お父さんはその辺のことに詳しくて、これはいい曲だからと強力に推したようです。それと営業的には札幌のレコード店の宮武さんという店主が、これはお登紀さんで絶対にやるべきだ、というアドバイスをくれまして、それでやろうと決心したんです」 レコーディングにあたり、福住哲弥ディレクターは彼女の哀愁のあるボーカルの魅力を最大限生かした“叙情歌”を作ろうということで、アレンジはアコースティックにし、アクセントとしてイントロに木琴を入れた。結果的に、この効果が大で「知床旅情」は実に印象的な歌に仕上がったのだ。 この歌が発売されたころ、ちょうど国鉄が“ディスカバー・ジャパン”キャンペーンを展開していた。それにより未知なるものへの憧れが高まり、それに呼応するかのように「知床旅情」はさながらディスカバー・ジャパンのキャンペーン・ソングのように全国に広がっていった。そして140万枚を超えるミリオンセラーとなり、71年度の最も売れたシングルとなったのである。