総合TOP > お役立ちインデックス > OnGenアーカイブス > 富澤一誠のフォークが好き!> 2006/02/08 小椋佳
大学も終りに近づいて銀行に就職が決まった頃、小椋佳は詩人の寺山修司に初めて会った。きっかけは寺山が担当していたラジオ番組で「だれでもいいから来い」という呼びかけに応じて行ったものだが、それ以来、寺山の所へ出入りするようになる。あるとき彼はレコーディングのチャンスを与えられた。寺山が主宰している天井桟敷の企画による自主制作レコード『初恋地獄篇』で「夏よ来い」「手紙」の2曲をうたうことができたのだ。 この曲をレコーディングして、小椋はしばらくの間、銀行で頑張っていた。しかし、運命とは恐ろしいもので、この自主レコードを聴いて、彼の太く響く声にしびれたレコード・ディレクターがいた。ポリドール・レコード(当時)の多賀英典さんだ。多賀さんは小椋に会う。しかしながら、180センチの巨体にメガネをかけたサラリーマン然とした風貌はあまりにもシンガーとかけ離れていた。そこで“シンガー”はあきらめて、小椋の歌を他の誰かにうたわせようと画策した。だが、事はうまく運ばないまま2年という年月が流れてしまった。そうこうしているうちに、小椋が転勤でアメリカに行くことになった。それならば、ということで渡米直前に小椋自身による自作の歌が録音された。しかし、多賀さんに発売のあてはなかった。 ポリドール・レコードの田中裕さんは語る。 「当時ぼくは出版管理をしていたんだけど、小椋のLPがお蔵入りになっているのを知って、多賀さんに、これ出しましょうよと勧めたんです」 勇気づけられた多賀さんは、岡田裕介、森和代を使って小椋の歌を音楽ドラマ仕立てにしたアルバム『青春─砂漠の少年─』(1971年1月15日発売)を作った。すると静かに売れ始めた。青春のむなしさ、やるせなさをうたった詞ときれいなメロディ、それと小椋の太く響く声が受けたのである。特にシングル・カットされた「しおさいの詩」(2月1日発売)はB面の「さらば青春」と共に人気は根強かった。