総合TOP > お役立ちインデックス > OnGenアーカイブス > 富澤一誠のフォークが好き!> 2005/12/28 井上陽水(2)
吉田拓郎がフォークの状況を作ったとするなら、井上陽水はその音楽でフォークの状況をより幅広く広げたといっていい。 1972年に拓郎が「結婚しようよ」「旅の宿」のヒット曲を持って浮上するに伴い、フォークそのものもアンダーグラウンドからオーバーグラウンドな存在へと浮上した。 翌'73年──幸運にも時代の方から波がひたひたと陽水めざして押し寄せてきた。'71年から'72年にかけては、拓郎に代表される、いいたいことをそのままいってしまうメッセージ・ソングが、大きなブームになっていた。と同時に、メッセージばかりを送られる聴き手は、少々食傷気味になってもいたのだ。'73年には、メッセージ・フォークへの反動が、初めは小さかったとはいうものの、いわば一種のエア・ポケットを形作っていたといえる。そのエア・ポケットに陽水はうまく入り込んだ。時代のバイオリズムがやっと陽水のバイオリズムとも合ったのだ。その結果が「夢の中へ」のヒットだった。 「夢の中へ」は陽水の3枚目のシングルとして'73年3月1日に発売された。この曲は、東宝映画『放課後』(主演・栗田ひろみ、監督・森谷司郎)の主題歌として起用されたが、その軽快なリズムと鋭い詞でたちまちのうちに大ヒットしてしまった。 「夢の中へ」で陽水は“休む事も許されず…はいつくばっていったい何を探しているのか”とうたったが、ここにはリアリティがあった。なぜなら、休む事も許されず、笑う事も止められて、社会という大機構の中ではいつくばって生きている私たちがいたからだ。そんな私たちに対して、陽水は、そんなことはやめて楽しい夢の中へ行こう、とうたった。夢の中へ行くということは現実からの逃避かもしれないが、強制的な社会機構から逃れるためにはそれしかないと陽水はいっているのだ。その裏には強烈な社会不信があることはいうまでもない。だから、「夢の中へ」は陽水が社会に示したアンチ・テーゼなのだ。その矢がたくさんの人たちのハートを射ぬいたからこそヒットしたのである。