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ホーム > 特集 > リコメンド > 富澤一誠のフォークが好き! > 2005/11/24 葛城ユキ
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「木曾は山の中」という曲で葛城ユキがデビューしたのは、1974年11月のことである。同年の世界歌謡祭入賞曲であり、“大型シンガー”の前評判が高かったにもかかわらず、さっぱり売れなかった。 シティ派ポップスの興隆期だった。ユーミンこと荒井由実が登場し、ニューミュージックという言葉が使われ始めた頃である。フォークとも演歌ともつかないような「木曾は山の中」は、完全に時代の流行からとり残されていた。 その後もまったく鳴かず飛ばず。レコードを出す話も立ち消えになり、歌う場所といえば、ヤマハに所属していた関係で、合歓の郷やつま恋にあるヤマハ直営のホテルのミュージックサロンが確保できる程度だった。ミュージックサロンというと聴こえはいいが、バーやクラブのような、酒を飲ませる場所であり、彼女の歌はあくまで、酔った客のBGMにすぎなかった。 「苦しい思い出ばっかりですよ」 模索が始まった。やがて、自分に一番合うのはロックだと思い始め、いわゆる“シャウト唱法”を身につける。叫ぶようなその歌い方は、自分の歌を聴いてくれなかった客への、精一杯の自己主張なのかもしれない。 1980年、「哀しみのオーシャン」でラジオシティレコードより“再デビュー”。以後5枚のアルバムを作り、こまめにライブ活動を続けてきた。相変わらず、酔っ払い相手のパブなどが多かったが、彼女は負けなかった。負けないどころか、逆に闘志を燃やし、“ライブハウスの女王”と呼ばれるまでになった。 地味ながらも堅実な活動が、「ボヘミアン」大ヒットの下地を作ったのである。当時、彼女が私のインタビューに答えて語ってくれた言葉を今でも鮮明に記憶している。 「信じてたんです、自分が大器だってことを。“大器晩成なんだ。ほかの歌手とは違う。こんな所でやってる自分は、ほんとの自分じゃない”。自分にそう言い聞かせてきました。そう信じるしか、なかったんです」
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