総合TOP > お役立ちインデックス > OnGenアーカイブス > 富澤一誠のフォークが好き!> 2005/11/9 シュリークス
イルカは1969年4月に女子美術大学に入学した。女子美に入ったことが彼女の運命を決めた。というのは、そこで彼女の夫君でありプロデューサーでもある神部和夫と知り合うことになるからだ。 「私は女子美のフォーク・ソング・クラブに所属して、女の子3人で“奇々怪々”というグループを作っていました。そのクラブに当時、講師として教えにきていたのが彼でした。そのころ、彼は早稲田の学生で山田パンダさんなんかと“シュリークス”というグループを作って、プロとして活動していたんです。そうこうしているうちにシュリークスが解散することになって、一緒にやらないかと彼に誘われたんです。その前から、なぜか彼と結婚することは決めてましたね。最初に会ったときから、昔から知っているような気がしましたし、一緒にいて当然と思ったし、これからもずっと一緒に暮らしたいと思いましたから」 神部とイルカのふたりからなる新しい“シュリークス”は71年10月に「きみまつと」という曲でデビューした。だがレコードはまったく売れなかった。ふたりは早くも厚い壁にぶつかってしまったのである。 彼らが結婚式を挙げたのは、そんなどん底状態の72年5月1日のことだった。「そのころは売れなくて、まるで芽が出なかった。だから、祈るような気持ちでせめて芽が出るようにと“メーデー”の日に結婚式を挙げたんです」 先々の不安はまったく感じなかったという。「私は何もないところから出発したかったし…かぐや姫の『神田川』のような四畳半のつましい世界にあこがれていたんです。彼は早大の七年生で将来はプロデューサー志望。そのころから私をソロ・シンガーにしようと思っていたようで、シュリークスの後半はソロになるための準備期間と考えていたんですね。だから夢もあったし、彼と一緒なら何でもできるし、どうにでもなると思っていました」 だからこそ、「私は好奇心の強い女」(72年)、「クジラのスーさん空をゆく」(74年)というすごいタイトルの歌も平気で歌えたのだろう。