総合TOP > お役立ちインデックス > OnGenアーカイブス > 富澤一誠のフォークが好き!> 2005/10/26 ビリー・バンバン
ビリー・バンバンは菅原孝(兄)、進(弟)の“兄弟”デュオである。彼らはアマチュア・フォーク・コンテストに積極的に顔を出し、ニッポン放送の人気番組『フォーク・ヴィレッジ』にも出演した。 『フォーク・ヴィレッジ』は当時アマチュアが出演できるということで注目を集めていたラジオ番組だが、ビリー・バンバンの「白いブランコ」が紹介されるとたくさんのリクエストが寄せられた。その結果、「白いブランコ」は、フォー・セインツの「小さな日記」、ザ・リガニーズの「海は恋してる」と並ぶアマチュアの“三大人気曲”となったのだった。 ビリー・バンバンのコンサートはどこまでも自由だった。学生の気楽さからか、思っていることを素直に語り、好きな音楽を好きなように演奏した。それが“東京派フォーク”のスタイルだったのである。 そんな彼らに興味を示したのが売れっ子作曲家の浜口庫之助だった。彼は彼らをスカウトし自分のプロダクションに所属させた。そして、彼の肝煎りで彼らをキング・レコードに紹介した。そんな経過からして、彼らのデビュー曲は当然のことながら浜口の作品でということになり、「星空のハプニング」が“A面”に決定した。“B面”には「白いブランコ」が収録されることになった。 ところが、発売前になって、A面とB面が引っくり返ってしまった。きっかけはニッポン放送の井村文彦ディレクターだった。彼は『フォーク・ヴィレッジ』の聴取者の反応から「白いブランコ」は確実に受け入れられてヒットするという確信を持っていたので、キング・レコードに対して猛烈に「白いブランコ」をA面にした方がいい、とアドバイスしたのである。こうして土壇場でA面とB面が引っくり返り、1969年1月15日に「白いブランコ」は晴れてビリー・バンバンのデビュー曲として発売されたのである。もしも“B面”だったら、「白いブランコ」は音楽の教科書に採用されることはなかっただろう。