総合TOP > お役立ちインデックス > OnGenアーカイブス > 富澤一誠のフォークが好き!> 2005/10/12 マイク真木
松代地震(長野県)が群発して起こっていた1966年の4月5日にマイク真木の「バラが咲いた」は発売された。 当時大学生で“モダン・フォーク・カルテット”というアマチュア・フォーク・グループで歌っていたマイク真木に白羽の矢が立ったのはまったくの“偶然”だった。 「バラが咲いた」は作曲家の故・浜口庫之助が「ポエトリー・イン・モーション」などのヒットで人気の高かったアメリカのポップス・シンガー、ジョニー・ティロットソンのために作ったものだが、「デモ・テープを作るための練習用シンガーとしてアルバイトで歌ったら、これはいい、というのでそのままレコードになってしまったんです」(マイク真木)──つまり“偶然”だったというわけだ。 ところが、「バラが咲いた」は大ヒットし、マイク真木は一躍スターになり、フォーク・ソングも初めてお茶の間にまで浸透する。「バラが咲いた」が思いもかけぬ大ヒットになったことが波紋を呼ぶ。作家専属制の崩壊である。 それまでは、いわゆる作家(作詞家、作曲家)はレコード会社の専属で、デビューする新人は専属の作家の曲をうたわなければならなかった。ところが──当時「バラが咲いた」の制作を担当した本城和治フィリップス・レコード・ディレクターは証言する。「フィリップスはそのころ邦楽を始めようとしていた矢先だっただけに、専属作家を抱えていなかった。だから、どうしても新しい作家、シンガーを見つけてくるしかなかったんです。そう思ってアーティストを探していたところ、フォーク・ソングが若者たちの間でブームになっているのを知って、何度か学生のコンサートに足を運びました。そこで見つけたのがマイク真木だったんです」 ゼロからの出発が、新興フィリップスに作家専属制の枠を越えさせ、「バラが咲いた」という新しい歌“フォーク・ソング”を生み出させる。 「バラが咲いた」はマイク真木にとっては“偶然”であり、本城にとっては“ひとつの試み”にしかすぎなかったが、思わぬ大ヒットになったことで、作家専属制を崩壊させ、旧態依然としていたレコード業界を根底から揺さぶったのである。和製フォーク・ソング第1号の「バラが咲いた」は松代地震並みの衝撃だった、わけだ。