総合TOP > お役立ちインデックス > OnGenアーカイブス > 富澤一誠のフォークが好き!> 2005/08/10 河島英五
河島英五とホモサピエンスを解散した英五は、音楽が好きだから、売れる売れないに関係なくやりたい、という新たな気持ちで、'76年10月にソロ・シンガーとして正式にスタートした。再デビュー曲は「酒と泪と男と女」だった。
この曲はホモサピエンスのデビュー・アルバム『人類』のB面3曲目に収録されていたが、日本酒『黄桜』のイメージ・ソングに起用されたのをきっかけに英五のソロとしてシングル化された。再スタートにあたって、彼はいきなり売れなくてもいいから、ライブやコンサートを積み重ねることによって、少しずつ支持者を獲得するつもりでいた。 しかし、予想に反して、「酒と泪と男と女」があれよあれよという間にヒットしてしまい、彼は一躍“時の人”となってしまった。コンサートはどこで開いても満員。彼の行く先はどこでも人だかりができるようになった。ふつうならヒット曲が出ると、アーティストは“ナンバー・ワン”をめざし、ひたすら躍進するものだが、彼はそんな活動のしかたはしなかった。むろん、やろうと思えばできたのだが、彼は彼独自の活動を続けていく。インド・アフガニスタン・ペルー・トルコ・ネパール・ケニアなどをひとり旅するかたわら、'80年には四国八十八札所を巡礼しながらの<お遍路ライブ・ツアー>、'81年には東北、北海道の円空仏を訪ねて、全行程3000kmの<円空仏探訪ライブ>をバイク・ツアーで行った。 この後の彼は独自の活動を続け、ミュージック・シーンにおいて“オンリー・ワン”の世界を築き上げる。他とは違う独自の世界─ それがアーティスト・河島英五の評価だが、結果的に「酒と泪と男と女」がヒットしたときに流されなかったことが良かったようだ。もしもあのとき、ヒット曲が出て状況が良くなったからといって、ふつうのアーティストと同じようなローテーションを組んで活動をしていたら、英五は“オンリー・ワン”ではなく、その他多数の中の1アーティストで終わっていたに違いない。
「残りの人生は少ないというか、攻めていけるのはあと数年でしょう。その間に魂を揺さぶるようなメロディを書きたい。そして世界を歌い歩きたいですね。それがぼくの最後の夢です。今まではその助走期間だったんです」(英五)
2001年、最高の助走スピードで“最後の夢”に向かって踏み切ろうとしていた矢先に英五は逝ってしまった。
合掌。