総合TOP > お役立ちインデックス > OnGenアーカイブス > 富澤一誠のフォークが好き!> 2005/07/13 矢沢永吉
1978年8月28日──この日、ロックは後楽園球場でついに“メジャー”になった。
戦う男の姿は実に美しいものだ。矢沢は十分すぎるほど美しかった。後楽園球場で矢沢が歌った。ただそれだけで十分だ。その“成りあがり”の事実こそが、まさに“ドラマ”なのだと激しく思わずにはいられなかった。 矢沢は後楽園球場に5万人を集めたという“事実”でロックのパワーを示し、ロックをメジャーにした。だが、矢沢の歩んだ道は決して平坦ではなかった。
彼は'75年4月13日に“キャロル”を解散して、同年9月21日にソロ・シンガーとして再スタートした。だが、当初評判は芳しくなかった。なぜか? バラードが中心であまりにもソフトすぎたために、キャロル時代のワイルドさに比べると“軟弱”だと思われたからである。だが、矢沢は意に介さなかった。彼には確固たるポリシーがあったからだ。
「ソロになって初めてやる課題は“アイ・ラヴ・ユー,OK”や“A DAY”のようなバラードで野音の超満員の客を総立ちにすることだったわけよ。ロックンロールで総立ちなら、そんなのは簡単なわけよ。だが、そんなことしていたら、いつまでたってもキャロルから離れられない。だから…」
“軟弱”という罵声に耐えて彼はあえて自分の信じる道を突き進んだからこそ「時間よ止まれ」('78年3月21日発売)というミリオンセラーを出せたのだ。そして、その姿勢は常に一貫している。そこが矢沢のすごいところであり、スーパースターとして生き続けている所以である。