総合TOP > お役立ちインデックス > OnGenアーカイブス > 富澤一誠のフォークが好き!> 2005/05/25 堀内孝雄
「涙の誓い」が大ヒットしている最中の1978年4月28日──アリスは大宮市民会館でコンサートを予定していた。いつものようにリハーサルが始められた。しかし、谷村新司は声が出なかった。前夜から違和感を感じていた彼のノドは熱くはれあがっていた。コンサート終了後、彼は病院に直行し、そのまま入院してしまった。膵臓をやられ、3ヵ月の静養が必要と診断された。
アリスは谷村抜きで、堀内孝雄と矢沢透のふたりでコンサート・ツアーを続けることを余儀なくされた。ふたりにも“男の意地”はあった。堀内は言う。
「やっぱりふたりじゃダメかと言われないようにしよう…ただそれだけでしたね」
同じころ、レコード制作において重大な事が起きていた。というのは、資生堂のキャンペーン・テーマの依頼がアリスに来ており、それをやることに決定していたのだが、谷村が病気静養ということで、どうしようか、とスタッフ間で論議がなされていたのである。橋場正敏ディレクターは「もう時効だと思うから」と言って打ち明ける。
「資生堂のキャンペーン・テーマはやれば絶対に売れるから、どうしてもやりたかった。でも、アリスでということで依頼が来ているのを、谷村が病気だからといって堀内のソロでといって通るかどうか…。でも、一か八かいってみたら、病気だったらしかたがないということで堀内のソロでOKになったんです。これはラッキーでした」。
「君のひとみは10000ボルト」は'78年8月5日に堀内孝雄のソロ・シングルとして発売され、50万枚の大ヒットとなった。これによって、“アリスの第二の男”だった堀内は谷村と並ぶ“アリスの看板”となった。その意味では、谷村の病気という危機感が、堀内をうまく刺激して、結果的に大きなプラスをもたらしたと言える。まさにピンチがチャンスである。