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総合TOP > 連載 > ジャンル虎の穴 > Vol.32 ヒップホップ特集

【ジャンル虎の穴】ヒップホップ特集

ブロック・パーティーから始まり、DJ、MC(ラップ)、ダンス、アートをひっくるめた文化として発展してきたヒップホップ。革新性なスタイルで進化していくヒップホップ・ミュージックの歴史を再検証!

ブレイク・ダンス、グラフィティ・アートと並ぶヒップホップ・カルチャーのひとつとして「ラップ・ミュージック」が誕生したのは70年代後半のこと。つまり発生当初は文化の一部分でしかなかったにもかかわらず、それはヒップホップ・ミュージックとして急速な進化を遂げていった。

ニューヨークの街角でのブロック・パーティー(電線から電源を借用して行なわれた街頭ダンス・パーティー)に端を発しているだけに、当初は同じレコードを2枚使ってリズム・パートだけを交互に繰り返す「ブレイク・ミックス」と、ブレイク・ミックスに合わせて“歌わずに喋る”「ラップ」がヒップホップ・ミュージックの構成要素だった。もともとはパーティー・ミュージックなのだ。

しかし80年代中期以降、可能性は大きく広がることになった。その大きな要因は、ブレイク・ミックスの延長線上に生まれたサンプリングだ。既成のレコードの一部分をサンプラーに取り込んで、新たなビートを再構築するという手法。その後、当然のように著作権問題が取り沙汰されるわけだが、いずれにしてもそれは革新的だった。

新しい音の発信元は常にニューヨークだったが、余波は各地に広がった。たとえばいい例が、ギャングスタ・ラップの震源地でもある西海岸、いわゆるウェッサイ(westside)だ。ニューヨークのシーンがビートの革新性、サンプリング・ソースの深さなどを争っていたのに対し、西海岸のサウンドはメロウでスムース。やや単純。だが聴きやすさも手伝ってか、西は西で独自のポピュラリティを獲得している。

そんなわけで、ときに対立しながらも東西が共存してきたわけだが、90年代後半になると東西がどうという以前にヒップホップのあり方そのものが根底から覆される。R&Bアーティストのジニュワインやアリーヤの作品で、新進プロデューサーのティンバランドが革新的なビートを打ち立てたことが発端だった。

それはサンプリングではなく打ち込みによる、シンコペイションを軸とした奇異なサウンドだった。これがシンコペイテッド・ビーツ、いわるゆチキチキ系。賛否両論があったが、結果的にはこの流れのなかから様々なプロデューサーが登場し、ヒップホップの音そのものが激変したのだ。

そして2000年代に入ると、ヒップホップの商業化はますます進んだ。クリエイティヴィティよりも奇抜さや過激さが重視されるようになり、旧来のファンはヒップホップから遠のいてもいった。そんななか、聴きやすく深いプロダクションによってヒップホップを原点回帰させたのがカニエ・ウェストだ。サンプリングの価値を再生させた彼には、今後も大きく飛躍する可能性がある。一方、同じくシーンの重要人物であるミッシー・エリオットが近年はヒップホップをもとに戻そうという姿勢をアピールしているのも興味深いところ。

常に新しいフォーマットを模索し、スタイルを変えながら進むヒップホップ。将来的にどのような発展を遂げていくのか、今後も注目していきたいところだ。
(Text/印南敦史)

■代表アーティスト

DJのグランドマスター・フラッシュことジョセフ・サドラーを中心に、ラッパーのメリ・メル、スコーピオ、ラヒーム、キッド・クリオール、カウボーイで構成されるオールドスクール・ヒップホップの重鎮。代表作である本アルバムは、メッセージ性を備えた史上初のラップ楽曲としても知られるタイトル曲を生んだ名作だ。ラップとファンクの融合感がなによりもの魅力で、黎明期ならではの躍動感が全体に貫かれている。なお代表曲のひとつである「It's Nasty」は、トーキング・ヘッズの傍系グループであるトム・トム・クラブ「Genius Of Love」の元ネタとしても有名。

 

ラッパーのチャック・D、フレイヴァー・フレイヴ、DJのターミネーター・Xを主軸とする社会派グループ。アフリカン・アメリカンの社会的自立を訴えるストレートなリリック(歌詞)表現は、社会問題にすらなった。プロデューサー・チーム、ボム・スクワッドの重量級サウンドも高く評価され、1987年のデビューと同時に存在感を確立した。これはその翌年のセカンド・アルバムにして最高傑作。ヒットした「Don't Believe The Hype」から、スクラッチのネタにクイーン「Flash Gordon」を使用した「Terminator X To the Edge Of Panic」まで、展開は一貫してスリリングだ。

ALBUM
『Fear Of A Black Planet』

1990年 Release

 

劣悪な環境をくぐり抜けた末に自主レーベルであるロッカフェラ・レコーズを成功させ、多大な影響力を獲得したJAY-Z。NASとの敵対関係(のちに和解)、引退宣言とその撤回がもたらしたバッシング、ビヨンセとの結婚など話題に事欠かず、全米を代表する人物としても知られている。ラッパーとして10代からの長いキャリアを持っており、ビートのうねりをするすると抜けていくようなフロウ(節まわし)への評価は高い。特に同名映画にインスパイアされて制作された最新作『American Gangster』は、原点に立ち返ったかのようなインパクトを備えた名盤だ。

ALBUM
『Kingdom Come』

2006年 Release

ALBUM
『The Blue Print』

2001年 Release

 

いじめられ体験から交通事故後のクリスチャンへの転身まで、従来のヒップホップ・イメージとは違う角度から存在感をアピールしてきたカニエ・ウェスト。ラッパー、プロデューサーとしての多角的な才能の持ち主である。ソウル・クラシックスを高速でサンプリングした独特な初期の音づくりがそうであるように、ソフルフルなサウンドが持ち味。なかでも自身の大学中退をネタにしたファースト・アルバム『The College Dropout』には、ソウル・ミュージックへのリスペクトが充満している。チャカ・カーン「Through The Fire」を使用したヒット「Through The Wire」は特に有名。

ALBUM
『グラデュエーション』

2007年 Release

ALBUM
『Late Registration』

2005年 Release

 

エミネムは、白人ながらも卓越したラップ・スキルの持ち主だ。貧しい環境下で激しいいじめを受け、自殺未遂も経験し…という暗い幼少時代の体験を直接的に映し出したリリックは、世界規模で大きなインパクトを与えた。とりわけ全世界で600万枚をセールスしたメジャー・デビュー・アルバム『The Slim Shady LP』は、過激かつコミカルな毒舌ラップ全開状態。それが数々の非難を受けもしたが、いじめられて脳を損傷したことを歌った「Brain Damage」がそうであるように、生々しさがものすごい。彼を成功に導いたプロデューサー、ドクター・ドレのサウンドも聴きどころだ。

ALBUM
『The Eminem Show』

2002年 Release

 

■おすすめアーティスト

 

[ジャケット画像]

Afrika Bambaataa
『Zulu Groove』

1997年 Release

 

ヒップホップ文化の創始者のひとりであり、自身のクルーであるズールー・ネイションを主宰する要人。クラフトワークやYMOの影響下にあるエレクトロ・サウンドは、ハウスやテクノにも影響を与えた。「Planet Rock」が有名だが、ジョン・ライドンとの共演曲「World Disctrution」も重要。

 

[ジャケット画像]

The Sugarhill Gang
『Sugarhill Gang』

1979年 Release

 

ヒップホップ・カルチャーに可能性を感じたシュガーヒル・レーベルのシルヴィア・ロビンソンによって“作られた”グループ。だが、シック「Good Times」のベースラインを引用した世界初のラップ・シングル「Rapper's Delight」は結果的にヒップホップ・クラシックに。

 

[ジャケット画像]

Kurtis Blow
『The Best Of Kurtis Blow』

1994年 Release

 

ラップ・アーティストとしては初めて、メジャー・レーベルと契約した人物(ジャケットに顔写真を載せたのも彼が最初)。快活なラップが魅力で、デビュー曲の「Christmas Rappin'」、ラップ・レコード初のミリオン・セラーとなった「The Breaks」など、数々のクラシックスを残した。

 
 
 

[ジャケット画像]

LL Cool J
『Radio』

1984年 Release

 

16歳だった1984年に、デフ・ジャム・レーベル最初のシングルとしても知られる「I Need A Beat」でデビュー。以来、現在に至るまでシーンのフロントラインを走り続けている実力派ラッパーだ。過去のアルバムはすべてプラチナム・セールスを突破。2度のグラミー受賞経験も。

 

[ジャケット画像]

Eric B.& Rakim
『Paid In Full』

1987年 Release

 

DJ/プロデューサーのエリック・B、ラッパーのラキムからなるユニット。1987年のデビューアルバム『Paid In Full』で、瞬く間に評価を獲得した。サンプリングの可能性を突き詰めたエリック・Bの音づくりのみならず、のちの世代に多大な影響を与えたラキムのラップ・スキルが圧倒的。

 

[ジャケット画像]

EPMD
『Strictly Business』

1988年 Release

 

エリック・サーモンとパリッシュ・スミスによるユニット。クラシックスとして名高いシングル「It's My Thing」「You Gots To Chill」「So Wat'cha Sayin'」などに明らかなとおり、ファンクからサンプリングした太いベースラインとシブいラップで構成されるサウンドは、まさに男くささ全開状態。

 
 
 

[ジャケット画像]

Gang Starr
『Step In The Arena』

1991年 Release

 

(アシッド・ジャズ・ムーヴメントと時期が重なったため)初期は“ジャズ・ラップ”と位置づけられていたものの、DJ・プレミアのビートメイカーとしての才能、そしてグールーのクールなラップによって地位を確立。特にプレミアの作る硬く太いビートは、シーンに大きな影響を与えた。

 

[ジャケット画像]

Nas
『Hiphop Is Dead』

2006年 Release

 

94年に、クラシックとして名高い『Illmatic』でデビュー。自身が育ったNYクイーンズの現実を冷静な視点で捉えたリリック、ラキムの影響下にある卓越したラップ・スキルで大きな評価を得た。一貫してフロントラインを走り続けてきた末、新作『Hiphop Is Dead』では見事に原点回帰。

 

[ジャケット画像]

The Notorious B.I.G.
『Ready To Die』

2004年 Release

 

NYブルックリンに生まれ、10代でラッパーに。デモ・テープが著名専門誌『THE SOURCE』内で評価され、バッド・ボーイ・レーベルと契約。「Juicy」「Big Poppa」など数々のヒットを放つが、その後2PACとの確執が話題に。2PACが狙撃された半年後、彼もまた凶弾に倒れた。

 
 
 

[ジャケット画像]

Dr.Dre
『2001』

2001年 Release

 

ワールド・クラス・レッキン・クルー〜N.W.A.を経て西海岸シーンにおける台風の目となったプロデューサー/アーティスト。“Gファンク”というカテゴリーを確立した1992年の『The Chronic』、そして1999年の『2001』は西海岸サウンドを知る上で無視できない重要作。

 

[ジャケット画像]

Snoop Dogg
『Tha Last Meal』

2001年 Release

 

ドクター・ドレーに才能を認められ、スヌープ・ドギー・ドッグ名義で1993年に『Doggystyle』でアルバム・デビュー。「Who Am I(What's My Name)」、「Gin & Juice」などヒットを連発し、ウェスト・コースト屈指のラッパーとしての地位を確立。ユル〜いラップ・スタイルが魅力だ。