ジョン・トラボルタ主演の『サタデー・ナイト・フィーバー』で、日本でもディスコ・ブームが頂点を迎えようとしていた1978年。世間ではインベーダー・ゲームが大流行し、キャンディーズが引退し、ピンク・レディーが「UFO」でレコード大賞を受賞した。その頃、学生でも入りやすい“ツバキハウス”や“カンタベリーハウス”といったディスコで踊り狂った、今となってはおじさん、おばさんはかなりの数に登るだろう。
伝説のディスコといわれる赤坂の“ムゲン”は68年のオープン。当時は、ソウルの生バンドが入っていた。同じ赤坂の“ビブロス”や六本木の“メビウス”などの人気ディスコの登場に合わせ、かかる音楽もR&Bからモータウン、フィリー・ソウル、ニュー・ソウルへと変化していくが、70年代半ばくらいまではファンキーなものも含めソウルの括りで聴かれていたと思う。ディスコという呼び方が一般的になるのは、「バンプ」や「ハッスル」、さらに「バス・ストップ」といったダンス・ステップが人気になった頃からだろうか?74年から75年にかけて、タイトルに“ディスコ”と名がつく曲が目立ちはじめる。
コモドアーズの最初のヒット曲「バンプ」や、ヴァン・マッコイの「ハッスル」と共にディスコ・ブームは盛り上がりを見せていく。レコード会社の緻密なプロモーションもあっただろうが、世界的なディスコ・ブームを背景に、日本でもスタイリスティックスやヴィレッジ・ピープル、ドナ・サマーがバカ売れし、アース・ウィンド&ファイアーが更にリスナー層を広げ、遂にはヨーロッパ産の、ソウルとは何の関係もないような“ミュンヘン・サウンド”や、その亜流が次々と登場してくるのだった。
日本のディスコ・ブームは、アラベスクやボニーM、D.D.サウンド(1-2-3-4 ギミー・サム・モア)、ホット・ブラッド(ソウル・ドラキュラ)、シルバー・コンベンション(フライ・ロビン・フライ)、バカラ(誘惑のブギー)などのヨーロッパものに底辺を支えられていた、といっても過言ではないだろう。中でも、「ジンギスカン」は現在でも、幼稚園のお遊戯の教材に使われるほどに日本に定着している。
更には、ビー・ジーズ大旋風や、アバの「ダンシング・クイーン」、ノーランズの「ダンシング・シスター」などの大ヒットで、ディスコはますます身近に、一般的なものとなっていく。ディスコを馬鹿にしていたロック・ファンも、ブロンディの「コール・ミー」や、ロッド・スチュワートの「アイム・セクシー」、ローリング・ストーンズの「ミス・ユー」で、遂にはディスコ・デビューを果たすのだった。
ディスコはその後、ハイエナジーやユーロ・ビート、ハウスに形を変え、現在もクラブ・ミュージックやヒップ・ホップの重要な要素として機能していることはご存知の通り。今、ディスコ・クラシックと呼ばれる70〜80年代の名曲を聴き直してみれば、きっと“耳からウロコ”状態になること間違いない。(Text/遠藤哲夫)

















