夏がくーれば思い出す〜♪、というわけでもないが、今や夏の風物詩ともなったザ・ベンチャーズ日本縦断ツアー。今年も“ベンチャーズ・ジャパン・ツアー2005”と銘打ち、7月9日の「アミュー立川」公演を皮切りに、9月11日の「大宮ソニック・シティ」公演まで、全国34ヶ所を網羅するツアーを行う。今回の来日公演が何と50回目となるベンチャーズであるが、日本に一大エレキ・ブームをもたらし、それがGSブームにつながり、日本のロック創生において大きな影響を与えたことは明らかだ。
ベンチャーズの原型が生まれたのは、アメリカのワシントン州シアトルで、ドン・ウィルソンとボブ・ボーグルが出会った58年のこと。地元でブルー・ホライズンというレーベルを立ち上げ、ノーキー・エドワーズをベース(本来はギター)に、ハウイ・ジョンソンをドラムに引き入れ、2枚目のシングル「
ウォーク・ドント・ラン(急がば回れ)」を60年春にリリースした。この曲をドルトン・レコードが全国発売して全米チャート2位の大ヒットとなったのが、ベンチャーズ栄光の歴史の始まりである。
62年にドラムがメル・テイラーに代わり、日本でもお馴染みの黄金期の4人のメンバーが揃った。このメンバーでの65年の2回の来日公演が、日本のエレキ少年にどれほど大きな衝撃を与えたか、想像できるだろうか?63年リリースの『サーフィン』ではじめてモズライトのギターを使用、「
パイプライン」が日本でもバカ受けした。64年にはスペース・サウンドが流行し「
アウト・オブ・リミッツ」がヒット、現在も、その摩訶不思議な音がカルト的な評価を受けている。
ベンチャーズ=モズライト・ギターという図式のもと、日本での人気が最高潮に達するのが、4人では初の来日公演が行われた65年なのだ。『ウォーク・ドント・ラン'64』(日本発売は65年)からの
タイトル曲と「
ダイアモンド・ヘッド」、更には「
10番街の殺人」が日本で大ヒット。リヴァーヴを効かせたモズライト・ギターがうねり、“テケテケテケ”が炸裂する。追い討ちをかけたのが、ジャケットにモズライト・ギターのヘッドと女性をあしらった『ノック・ミー・アウト』。ダイナミックで斬新なロック・ビートは、日本のエレキ少年に意識革命を迫った1枚でもあった。テレビでは「勝ち抜きエレキ合戦」が始まり、しまいには“エレキ禁止令”まで発令された。

ベンチャーズの人気は、60年代末になると翳りを見せ始めるが、ノーキー・エドワーズからジェリー・マッギーにリード・ギターが代わり、独特なR&B色を加えたサウンドはマニアックなファンを喜ばせる。69年には全米4位まで上がる「
ハワイ・ファイヴ・オー」のヒットも放つ(ピチカート・ファイヴがサンプリングしていた!)ものの、日本では歌謡曲の分野でベンチャーズ作のヒット曲が続発したことの方が記憶に残る。欧陽菲菲の「
雨の御堂筋」はある意味、衝撃的だった。
ヒット・チャートからは遠ざかっても、ベンチャーズの日本贔屓と、ジャパニーズ・ポップ・ソングの膨大なカヴァーは今も続く。そのベンチャーズの偉大さを、サーフィン・サウンドやスペース・サウンド、TV主題歌などのタイプ別に分け、それぞれのヒット曲を紹介していきたい。日本にとって国宝級ともいえるベンチャーズの存在の大きさを再確認しよう!(Text/遠藤哲夫)