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‘20世紀の男、ぼくはきみの恋人になりたい
20世紀のおもちゃ、ぼくはきみの恋人になりたい’(「20th Century Boy」より)
70年代始めにグラム・ロック・ブームを巻き起こし、世界的なロック・スターの座を手にし、30才を目前に交通事故でこの世を去ってしまったマーク・ボランは、まさに20世紀の少年であり、全世界のファンにおもちゃのように愛された存在だった。

マーク・ボラン=T.レックスはグラム・ロック(グラマラスなロック)の創始者として、キンピカのファッションと、ロックの原点に戻ったかのようなロックンロール/ブギーで、70〜73年にかけてのイギリスの音楽シーンを席巻した。当時の日本でもT.レックスは大人気で、『ザ・スライダー』のLPジャケットを剥き出しで持ち歩くことが凄くカッコ良かった。72年11〜12月にかけての初来日公演は、ビートルズ来日時を思わせるほどの社会現象にもなった。そのT.レックスが時代を超えて、今なお愛され続けている理由は何なのだろうか?、テレビCMでは繰り返し彼等のヒット曲が流され、グラム・ロック・ブームが再燃している。その永遠に輝きを失わないマーク・ボランのカリスマ性の秘密を、その人生を通して探ってみよう。
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1947年9月30日、イースト・ロンドンに生まれたマーク・フェルド(ボラン)は、子供の時から空想好きだったが、59年には学校の友人とスージー&ザ・フラフープスなるバンドを結成。このスージーが2年後にソロ歌手ヘレン・シャピロとして大ヒットを出してしまうことが、ボラン自身に強烈なスター願望を植え付けた。18才の時にパリに渡り、有名なエピソードとして知られる“魔法使い”との出会いを体験。65年に念願のレコード・デビューを果たすものの、3枚のシングル盤は全く売れず、ジョンズ・チルドレンというサイケ・バンドに加入する。ここでボランが書いた「デズデモーナ」が中ヒットしたこともあり、自らのバンド、ティラノザウルス・レックス結成に至る。
 ティラノザウルス・レックスは、68年に「デボラ」でデビューしたアコースティック・デュオで、ヒッピー文化の影響と神秘主義を結びつけた摩訶不思議なバンドだった。70年の4作目にして最後のアルバム『ベアード・オブ・スターズ』では、ボラン・ブギーの原型が既に生まれていることが興味深い。エレクトリック化したティラノザウルス・レックスは、T.レックスに名前を変え、70年10月に出したシングル「ライド・ア・ホワイト・スワン」がチャート2位まで上がるヒットとなる。そして71年2月のT・レックスとしての初めてのコンサートで、彼等は金ラメのスーツに身を固めて大胆なイメージ・チェンジを図り、グラム・ロックのスターへの階段を上り始めるのだった。  ここからT.レックスの栄光と挫折の歴史が始まるわけだが、チャート1位に輝く「ホット・ラブ」に続いて、71年7月の「ゲット・イット・オン」も連続1位。アルバム『電気の武者』が7週連続でチャート1位を独走、T.レックスの絶頂期が到来する。アルバムとしては3作目にあたる『ザ・スライダー』(72年)と共に初来日を果たし、東芝EMIのスタジオで「20センチュリー・ボーイ」をレコーディングした。73年に『タンクス』『グレート・ヒッツ』を出したあたりまでが人気のピークで、同年10月の再来日の頃には、イギリスでは既にブーム沈静化に向かっていた。

マーク・ボランが単にグラム・ロック・ブームで終わったわけでないことは、続く『ズィンク・アロイ〜』や『ブギーのアイドル』を聴いてもらえばわかることだが、やはり一つの時代が終焉を迎えたことは否定できない。グラム・ロックのおもちゃ箱のような世界から舞い戻ったマークは生身の人間として、シンプルなビートに貫かれた『地下世界のダンディ』を77年にリリース。パンク・ロックの連中とも交流を持ち、パンクの源流として再び脚光を浴びつつある時、自らの「30才を迎える前に死ぬ」という予言通り(?)、1977年9月16日(30才の誕生日の2週間前)に自動車事故で旅立ってしまった。このあっけなさに、ボランは元いた別の世界に戻って行っただけなのかもしれない、と思ってしまう。T.レックス=マーク・ボランが愛され続けるのは、またふらっとこの世に戻ってきてくれそうな夢を、永遠に抱かせるからなのかもしれない。(Text/遠藤哲夫) |