恐ろしいことに、今の中学生とかがローリング・ストーンズに目覚めたとしたら、その父親は30代後半くらい・・・、だとすると、そのおじいちゃんは60歳前後で、ローリング・ストーンズのメンバーと同世代。なんと、3世代に渡って“リアルタイム”でストーンズを体験していることになる。こんなロック・バンドが他にいるだろうか?
60歳といったら、日本のGSブーム(1967〜8年がピーク)に青春真っ只中だった頃で、タイガースやテンプターズが腐るほどカバーしていたストーンズの曲を聴いていたはずだ。親が聴いていた音楽を子供も好きになることはよくある話で、ジーンズのチャックがくっついた変なジャケットで遊んでいたとしてもおかしくない。
ローリング・ストーンズが1963年6月に「カム・オン」でデビューして以来、1970年まで在籍していたのがデッカ・レコード(アメリカではロンドン・レコードになる)で、初期のブルースやR&Bのカバー中心から、「サティスファクション」や「ひとりぼっちの世界」「19回目の神経衰弱」「黒くぬれ」「マザー・イン・ザ・シャドウ」「ルビー・チューズデイ」といった自作曲でヒット・チャ−トを席巻していく。ストーンズが醸し出す反抗的なイメージに若者は感化され、メンバーのドラッグによる逮捕なども重なり、反社会的な世代の象徴とみなされた。パンクの原点がここにあったといっても過言ではないが、後にパンク隆盛になると逆に仮想敵(エスタブリッシュメントの側にいたから)と見なされたのは皮肉な話だ。
66年の『アフターマス』が初めて全曲オリジナルで占められ、ストーンズの創作意欲はますます高まりを見せる。時代の潮流に乗ってサイケデリックな『サタニック・マジェスティー』をリリースするが、ブライアン・ジョーンズがドラッグ漬けとなり、グループ内での存在感が薄れていくなか、ストーンズは迷いを振り切るかのように、究極のナンバー「ジャンピング・ジャック・フラッシュ」を完成させる。この曲が、今につながるストーンズのイメージを決定づけた。ここから、『ベガーズ・バンケット』、シングル「ホンキー・トンク・ウィメン」、『レット・イット・ブリード』と続くわけだが、この2枚のアルバムをストーンズの最高傑作とする人は多い。
69年は、ミック・テイラーの加入やブライアンの死、ヒッピー・ムーブメントの終焉ともいわれる“オルタモントの悲劇”など激動の時期でもあったが、ストーンズはアメリカ南部音楽に接近し、サザン・ソウルやゴスペルやカントリーといったスワンプ的要素を加えた、独自の泥臭いロックを生み出した。ライ・クーダー等も参加した『レット・イット・ブリード』から、カントリー・ロックの創始者、グラム・パーソンズとの関係がサウンドにも影響を与えた『スティッキー・フィンガーズ』『メイン・ストリートのならず者』に至って、ストーンズ・サウンドはより円熟した完成を見た。
ツアーが巨大化していくにつれて、ストーンズの音楽も産業ロック化するのかと思われたが、“永遠の悪ガキ”であるストーンズは、ミックとキースの不仲説も取り沙汰されながら、あくまで“ローリング・ストーンズ”として生き残ってきた。90年代には『ヴードゥー・ラウンジ』と『ブリッジズ・トゥ・バビロン』の2枚のオルジナル作しか残していないが、昨年の『ア・ビガー・バン』で見事、往年のストーンズ節が甦っている。21世紀のストーンズがもうすぐ目の前に現われる。来日公演を見逃すな!!
(Text/遠藤哲夫) |
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