フジ・ロック・フェスティバル'06への出演が決定したレッド・ホット・チリ・ペッパーズ。伝説となっている第1回フジ・ロックの吹き荒れる嵐の中でのパフォーマンス、2002年の『バイ・ザ・ウェイ』リリース後の第6回目に続いての、3度目のフジ・ロック。今回は、新作『ステイディアム・アーケイディアム』を引っさげての来日となる。
“ミクスチャー・ロック”の先駆者であり、躍動するリズムとマッチョ(?)な肉体で、パンクとファンクとラップとメタルが一体となったサウンドを作りだした“レッチリ”。90年代以降の音楽の一大潮流をリードしたばかりでなく、ファッションを始め若者たちのライフスタイルにも決定的な影響を及ぼした。
LAのアンダーグラウンド・シーンから登場したレッチリが世界を制覇するまでには、波乱万丈の歴史がある。LAの悪ガキ・バンドから、本能のおもむくままの破天荒なパフォーマンスと、高度なテクニックを両立させた彼らのライブは、アメリカを代表するロック・バンドとしての評価を高めていく。ステージで素っ裸になったり、例の“ナニに靴下”という格好も、馬鹿げているかもしれないが、そのおバカっぷりをこよなく愛するのがレッチリ・ファン。しかし、そのおバカっぷりの裏には彼等なりの批評性が潜んでいたことも忘れてはならないだろう。
アンソニー・キーディス(Vo)とフリー(B)ことマイケル・バルザリーがバンドを始めたのは1980年前後。同じ高校に通っていたヒレル・スロヴァク(G)とジャック・アイアンズ(Ds)を誘い、友人のバンドの前座に出たのがレッチリのスタートだった。84年のデビュー・アルバムには、契約問題のためヒレルとジャックが参加できなかったというアクシデントを乗り越え、2作目『Freaky Styley』には二人が復帰。よりラウドでタイトなリズムを強調した3作目『The Uplift Mofo Party Plan』で成長の後を伺わせた。しかし、この後、メンバーのヒレルが麻薬のオーバードーズのため死去。そのショックでジャックがバンドを脱退。高校時代から続いていた友人関係によるレッチリの時代はここで終焉した。
解散説を吹き飛ばし、新たなレッチリはギターにジョン・フルシアンテ、ドラムにチャド・スミスを迎えて再スタート。初期の名作として名高い『Mother's Milk』を発表する。アンソニーの公然猥褻罪など、相変わらずの武勇伝も聞こえてきたが、レコード会社をEMIからワーナーに移籍して初のアルバム『Blood
Sugar Sex Magic』(91年)では、リック・ルービンをプロデューサーに、バラードの「アンダー・ザ・ブリッジ」が全米2位のヒットになるなど、レッチリの新たな面を打ち出した。人気絶好調のなか、あまりに巨大になってしまったバンドのプレッシャーに耐えられなくなったジョンが92年の来日公演中に脱退するという事件が起き、彼等はしばらく模索の時期に入る。6作目『One
Hot Minute』を元ジェーンズ・アディクションのデイヴ・ナヴァロを迎えて完成させるが、どこか重苦しさが残っていた。
しかし、レッチリは見事に甦る。ジョンが7年振りに復帰し3週間で録音されたという『Californication』(99年)には、歌心あふれるメロディアスなナンバーが印象深い、自然体のレッチリがいた。さらにメンバー同士の結束を固めた『By
The Way』では、ジョンのコーラス・ワークが大活躍、メランコリックな曲からファンク・ナンバーまで硬軟取り混ぜた“カリフォルニアの王道ロック”を聴かせた。このアルバムはレッチリの揺ぎ無さを証明する21世紀最初の傑作だ。
ここで紹介する『GreatestT Hits』は、ワーナー移籍後の4枚のアルバムからのベスト・トラックに新曲2曲を加えたもの。美メロとラップ・メタルを両立させた「バイ・ザ・ウェイ」から、巻き舌ラップが下半身を直撃する「ギヴ・イット・アウェイ」やジミヘンばりのドス黒いファンク「サック・マイ・キッス」、どこか風通しがいいウェスト・コースト・ロックな「スカー・ティッシュー」といったシングル・ヒットは勿論、ブルージーでどこか枯れた味わいを醸し出す「アザーサイド」「カリフォルニケイション」「マイ・フレンズ」など、見落としがちなレッチリの名曲もしっかり収録。2曲の新曲は、ファンク魂がたぎる新作へと繋がるもの。今、レッチリは新たな次元に立ち、人間愛の美しさを歌に込める。(Text/遠藤哲夫)






