75年に発表されたパティ・スミスのデビュー・アルバム『ホーセス』は中身もジャケットも衝撃的だった。アルチュール・ランボーやビートニク詩人からの影響をうけた文学的な歌詞と、ヒリヒリするようなロックンロール。そして、ロバート・メイプルソープが撮ったモノクロのポートレートに写る、まるで少年のような体つきのパティと、カメラを見据える意志の強そうな眼差し。“ニューヨーク・アンダーグラウンド・パンクの女王”としてカリスマ的な人気を得ていたパティが、メインストリームで注目され、新たな時代の流れを作った記念すべきアルバムである。
パティ・スミスは、1946年12月30日シカゴに生まれ、ニュージャージー州で育った。ランボーの詩やボブ・ディラン、ローリング・ストーンズ、ジミ・ヘンドリックスなどの音楽に熱中しながら町工場で働いていた日々の心境は、74年に自主制作でリリースされたデビュー・シングル「Hey Joe」のB面「Piss Factry」のなかで歌われている。そして、わずか16ドルを手にニューヨークに出てきた彼女は、アート・スクールに通い、ロバート・メイプルソープと知り合い、恋人同士となる。69年にチェルシー・ホテルに移り住んだ二人は、アンディ・ウォーホールやサム・シェパードと交流を持ち、パティのポエトリー・リーディングのパフォーマンスが評判を呼ぶようになる。
74年に、メイプルソープの出資で制作されたシングル盤には、テレヴィジョンのトム・ヴァーレインも参加(当時、二人は同棲していた)し、ニューヨーク・パンク勃興の原動力ともなった。その後、アリスタと契約し『ホーセス』をリリース。「グローリア」や「バードランド」に代表される過剰な言葉と引き攣るようなボーカルが強い印象を残し、さらにロックのダイナミズムを加えたセカンド・アルバム『ラジオ・エチオピア』では、“パンク・ロックの女王”としての座を揺ぎ無きものにした。3作目となる『イースター』では、ブルース・スプリングスティーンと共作した「ビコーズ・ザ・ナイト」が大ヒットとなり、力強い演奏のなかにも独特の柔軟性が感じられるようになる。
元MC5のギタリスト、フレッド・スミスとの出会いは、パティに女性的な優しさや穏やかさをもたらした。フレッドへのラブ・ソングである「フレデリック」をはじめ、バラエティに富むナンバーを収録した『ウェイヴ』はトッド・ラングレンのプロデュースによるものだった。このアルバムを最後に、パティはフレッドとの愛の生活を優先させ、音楽活動を止めてしまう。フレッドとの間に二人の子供をもうけたパティのポジティブなエネルギーは、約9年ぶりのアルバムとなる、88年の『ドリーム・オブ・ライフ』となって結晶化する。「ピープル・ハヴ・ザ・パワー」での人々への慈しみに満ちたメッセージは鮮烈だった。
パティの人生はこの後、苦難と試練の道を辿る。89年に盟友ロバート・メイプルソープをエイズで失い、94年には最愛の夫であるフレッド・スミスが心不全にて急死してしまう。さらに実弟のトッドや、パティ・スミス・グループのキーボード奏者リチャード・ソウルと、次々に親しい者を失う不幸に見舞われる。しかし、パティは苦悩の末に、また音楽の世界に戻ってきた。暗い断崖に立ちながらも、崩れ落ちることなく、さらに力強い女性、ロッカーとして戻ってきた。96年に、死の影をたたえながらも、そこから飛翔していく『ゴーン・アゲイン』を発表。日本においては、97年の初来日を経て、2001年、2002年と2年続けてフジロックで見せた圧倒的なパフォーマンスは今では伝説となっている。
今回、配信開始となる『Original Album Classics』は、パティ・スミスのファースト・アルバム『ホーセス』から5作目『ドリーム・オブ・ライフ』までを収めたCDボックスである。リマスター時にボーナス・トラックとして各アルバムに追加された曲も収録されている。先鋭的でエキセントリックな叫びから、柔らかな母性を感じさせるものまで、パティの人生が刻まれている。現在のパティも、怒りのパワーやスピリチュアルな感性を持ち続けたまま、我々の前に毅然とした姿で立っている。
(Text/遠藤哲夫)