
“Like Marvin”。R&Bシンガーを賞賛する言葉として、これまでに何度も使われてきた言葉だ。マーヴィンのような声質、マーヴィンのようにセクシャルだと評され、マーヴィン2世と謳われたシンガーは数多くいるが、誰一人として、彼を超えることは出来ない。これまでも、そして、これからも。

彼に最初に注目したのは、モータウン・レーベルを率いたベリー・ゴーディーだ。60年代の初頭、コーラス・グループ、ムーングロウズの一員として活動していたマーヴィンは、ゴーディーとソロ契約を結び、62年のデビュー曲「スタボーン・カインダ・フェロウ」でデビューした後、「ハウ・スイート・イット・イズ」「悲しい噂」などヒット曲を連発し、60年代を通してモータウンの看板シンガーへと成長する。特に60年代後半からは、タミー・テレルやダイアナ・ロスら4人の女性シンガーとのデュエット・ソングを次々と発表し、今のアッシャーも及ばないほどのセックス・シンボルとして、人気を得ることとなる。

そんな彼に最初に訪れた不幸は、70年のタミー・テレルの死だ。脳腫瘍の為、マーヴィンとのステージの最中に倒れた彼女の死は、マーヴィンを極度の対人恐怖症に落としいれ、彼をステージから遠ざけることとなる。ライヴが生活の中心だったそれまでの生活から一転し、自分の時間を得たマーヴィンは、本格的に作曲・プロデュースに打ち込み、政治的メッセージに満ちた '71年の『ホワッツ・ゴーイン・オン』、赤裸々な性愛路線が話題となった'73年の『レッツ・ゲット・イット・オン』、そして、ポルノ・ソングと評された表題曲を含む『アイ・ウォント・ユー』など、アルバムとして完成度の高い作品を次々と制作していくことでタミーの死を克服する。しかし、ポップスの王道を追及するモータウン・レーベルとは、方向性の違いから徐々に対立を深めていき、ベリー・ゴーディーの妹でもある妻、アンナとの離婚を経て、80年にモータウンからの離脱を余儀なくされる(少し前の、マライアのように)。

相次ぐトラブルは、彼をドラッグに走らせ、アーティストとしては人々から忘れさられた存在となってしまうのだが、モータウンを追われて新たに契約を結んだコロンビアからリリースされた、心機一転の移籍第1弾アルバム『ミッドナイト・ラヴ』からのシングル「セクシャル・ヒーリング」が、空前の大ヒットとなり、彼は再び世界から注目されることとなる。この曲の電子楽器を使ったサウンド・プロダクションは、現在までR&Bのサウンド・プロダションのお手本として、数多くのアーティストに影響を与えている。この曲で念願だったグラミー賞を初めて受賞した彼を待っていたのは、しかし、人生最大の不幸だった。84年4月1日、以前から不仲だった父との口論の末、射殺された彼は、永遠に帰らぬ人となった。(Text/鈴木栄治)

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