最近の若い人は、ジャニス・イアンといってもピンとこないかもしれないが、1975年から77年頃にかけての、日本でのジャニス・イアンの人気は凄いものがあった。勿論、76年にはグラミー賞も受賞しているし、世界的な人気だったが、日本のテレビ・ドラマに使われた「恋は盲目」(『グッバイ・ママ』主題歌)や「ウィル・ユー・ダンス」(『岸辺のアルバム』主題歌)は、日本だけのヒット曲として有名だ。特に「恋は盲目」は、オリコンの洋楽チャートの1位を6ヶ月間独走した記録を持つ。80年の、角川映画『復活の日』の主題歌となった「ユー・アー・ラヴ」も日本だけのヒット曲である。
過去の人と忘れ去られていたかに思えたジャニスであるが、2004年には、かつての名作アルバムが紙ジャケットCDにて一挙再発され、久々の来日公演も行われた。そのちょっと前から、ジャニスの同性との結婚が話題となったり、テレビCMで再び「ウィル・ユー・ダンス」が流れ、椎名林檎が『唄い手冥利』(02年)でジャニスの「ラヴ・イズ・ブラインド(恋は盲目)」をカバーしたりと、確実に再評価の波が押し寄せていた。
ジャニス・イアンは、1951年ニューヨーク生まれ。天才少女と呼ばれ、14歳の時に書いた、白人中流家庭の女の子と黒人の男の子の恋を描いた「ソサエティーズ・チャイルド」が、66年に全米チャート14位まで上がるヒットとなり、センセーショナルな話題となった。自らユダヤ人として人種差別を受けてきたジャニスだからこそ作れた曲といえる。ヴァーヴ・フォアキャストから4枚、71年にはキャピトルから1枚のアルバムを発表、写真家のピ−ター・カニンガムと結婚するが、長くは続かず離婚。若さにまかせた転がるような5年間を送り、音楽界からしばらく遠ざかってしまう。
ジャニスの第2のデビューは74年に訪れる。ロバータ・フラックが取り上げてヒットした「我が心のジェシー」に後押しされ、『スターズ〜ジャニスの私小説』で再び注目を集めた。プロデューサーであるブルックス・アーサーとのコンビで、『ビトウィーン・ザ・ラインズ〜愛の回想録』『アフタートーンズ〜愛の余韻』の3部作を完成させ、人気の絶頂期を築く。アルバム・チャートNo.1の『愛の回想録』に収録された「17歳の頃」で、76年度のグラミー賞最優秀女性ポップ・ボーカルにも輝いた。この「17歳の頃」は、‘美人じゃない私’の、繊細な心の内面を描いた切なくも美しい名曲。『愛の回想録』には、ベスト盤には収録されていない「パーティーが終わったら」「思い出の水彩画」「灯りを下さい」「愛する人の子守唄」などの名曲が詰っているので、是非アルバムで聴いて欲しい1枚。孤独感やいじらしさが素直に歌詞に滲み出ていて、温もりがある歌声に癒される人は多いはずだ。
「ウィル・ユー・ダンス」を含む『ミラクル・ロウ〜奇跡の街』と、『ジャニス・イアン〜愛の翳り』は、当時流行したクロスオーバー/フュージョン風の演奏も多く取り入れられた洗練されたアルバム。79年の『ナイト・レインズ』からは「フライ・トゥー・ハイ」がヨーロッパで大ヒットしたが、アメリカでは伸び悩み、次作の『レストレス・アイズ』はウェスト・コースト録音のしなやかなAORサウンドになっていた。84年にオーストラリアのみでリリースされた『アンクル・ワンダフル』は打ち込み中心のダンス・アルバムで長らく幻の存在だった。ジャニスはこの後、苦難の時期を迎え(2度目の離婚や財政破綻など)、それを克服し92年のカム・バックに至る。
『スーヴェニアーズ〜』というベスト盤は、ジャニス自らが選曲しており、入門用には最適と言える。しかし、ここでジャニスは終わっているわけではない。今、まさに新たな全盛期を迎えようとしている。波瀾の半生を送ってきたジャニスの慈しみの歌声が心に響く。
(Text/遠藤哲夫) ![]() |









