来日記念(!)オリジナル・ニュー・アルバム!「コカイン」「アフター・ミッドナイト」の作者J.J.ケイルとのスーパー・コラボ・アルバム!
*2006/11/08より配信開始(予定)となります
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2005 Release ダウンロード価格 アルバム \1,500(税込) トラック 各\150(税込)
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2005 Release ダウンロード価格 アルバム \1,500(税込) トラック 各\150(税込)
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白人ブルース・ギタリストとして、これほど波乱の人生をおくってきた人もいないだろう。63年にヤードバーズに加入して“スローハンド”の異名をとり、ジョン・メイオールのブルース・ブレイカーズでは、ブリティッシュ・ブルース・ロックの歴史的名盤『ブルース・ブレイカーズ・ウィズ・エリック・クラプトン』(66年)を残し、“ギターの神様”としての名声を確立した。その後の、ジャック・ブルース、ジンジャー・ベイカーと結成した“史上最強のロック・トリオ”クリーム(66〜68年)は、ブルース・ロックから抜け出し、ジャズ的即興演奏とサイケデリック感覚をミックスさせ、さらにハード・ロックの原型となる“ニュー・ロック”で世界に衝撃を与えた。近年は、「チェンジ・ザ・ワールド」や「ティアーズ・イン・ヘヴン」のヒットで、すっかり“大人のロック”として渋みを増し、女性層からも大きな支持を集めている。
1945年3月30日、イギリスのサリー州リプリーに生まれたエリック・クラプトン。私生児だったクラプトンは祖父母の元で育てられ、13歳の頃からギターを手にして、ビッグ・ビル・ブルーンジーやロバート・ジョンソンなどのカントリー・ブルースメンをアイドルにコピーに励む。そして、17歳でエレクトリック・ギターを入手、美術学校を退学しプロ・ミュージシャンとしての道を歩み始める。
クリーム時代に残した6枚のオリジナル・アルバム(2枚はライヴ盤)のうち、『カラフル・クリーム』(67年)と『クリームの素晴らしき世界』(68年)は、同時期のジミ・ヘンドリックスのアルバムと並んで、ロックの概念を打ち破るものだった。日本でも「ホワイト・ルーム」が大ヒットして、クラプトンの名前が急速に知れ渡っていく。だが、クリームの人気と反比例するように、クラプトンは自分の音楽の方向性に疑問を持ち始める。丁度その頃、クリームとは対極にあるようなザ・バンドの『ミュージック・フロム・ザ・ビッグ・ピンク』を聴いて大きなショックを受けたことや、メンバーの不仲も重なって、68年11月にクリームは解散してしまう。
その後は、トラフィックのスティーヴ・ウィンウッドとブラインド・フェイスを結成。1枚きりのアルバムに終わってしまったが、スーパー・グループのはしりとして大きな話題を集めた。そして、アメリカ南部的なサウンドへと向かったクラプトンは、デラニー&ボニー&フレンズを経て、ソロ1作目の『エリック・クラプトン』、デレク&ザ・ドミノス名義で世紀の名盤として名高い『いとしのレイラ』を発表する。自然体でブルースを表現するようになったクラプトンだが、ジョージ・ハリソンの妻パティとの悲恋やスーパースターのプレッシャーもあり、約2年間ドラッグに溺れた生活を送る。そんな困難を乗り越えて、新たなスタートを切ったのが74年の『461オーシャン・ブールヴァード』だった。同年10〜11月には初の日本公演も行っている。その公演から、なんと17回目となる来日公演が目前に迫った。
今回の見どころは、ツアー・メンバーを一新し、トリプル・ギターの編成になっているところだろう。中でも、ジャム・バンド・シーンで注目されるデレク・トラックスの参加には興奮を禁じえない。デュアン・オールマンの再来といわれるデレク(この名前はデレク&ザ・ドミノスに由来)が、「いとしのレイラ」でスライド・ギターを弾く姿は必見である。そして、来日記念盤となる『ザ・ロード・トゥ・エスコンディード』もリリースされる。この作品は、ソロ1作目で取り上げていた「アフター・ミッドナイト」や、コンサートのラスト・ナンバーとして定番となっている「コケイン」の作者である、J.J.ケイルとのコラボレーション・アルバムである。曲作りや歌唱の部分でもケイルから大きな影響を受けているクラプトンの、アーシーでリラックスした魅力が全開のアルバムだ。勿論、「マグノリア」や「コール・ミー・ザ・ブリーズ」等に感銘した昔からのJ.J.ケイル・ファンにとっても聴き逃せないアルバムである。この熟しきったコクと芳醇さを、是非自らの目と耳で確かめていただきたい。
(Text/遠藤哲夫)