エンヤの故郷
『フィオナの海』という映画がある。94年にジョン・セイルズ監督が、アイルランドに伝わるケルトの妖精伝説をモチーフに、自然と人間のつながりを描いたファンタジー映画だ。バックにはアイルランド民謡がずっと流れ、くすんだカラー(モノクロに近い)が、余計に幻想的なイメージを創り出していた。この映画のロケ地がアイルランド北西部のドニゴールで、エンヤの生まれた土地だ。
エンヤことEithne Ni Bhraonainは、1962年にドニゴール州グイドアに生まれた。パブを経営する音楽一家に育ち、カレッジで本格的にクラシックとピアノを勉強した後、80年に兄姉が組んでいたグループ、クラナド(Clannad)に参加する。73年(録音は70年)にファースト・アルバムを発表し、ゲール語によるアイリッシュ・トラッドの現代化を大きく推し進めたのがクラナドであり、76年の3作目『デュラマン』は初期を代表する傑作となった。アイルランドの伝統曲「ダウン・バイ・ザ・サリー・ガーデン」や「庭の千草」のクラナド・ヴァージョンはどこかで耳にしているはず。エンヤが参加した82年リリースの『フアム』(80年の『クラン・ウル』にも参加説あり)は、伝統的なサウンドから徐々にポップ色を強めていく方向転換期にあたる。エンヤはキーボードを担当し、1曲でリード・ボーカルを取っている。このアルバムの後にエンヤはバンドを離れ、クラナドの3作目からプロデューサーを務めていたニッキー・ライアンと組んでソロへの道を歩む。
エンヤとケルト
エンヤが日本で紹介されたのは、88年の『ウォーターマーク』においてだが、実質的なデビュー・アルバムは、英BBCのドキュメンタリー・シリーズ「The Celts(幻の民 ケルト人)」のために制作したサントラをまとめた『Enya』(87年)だ。エンヤ自身は、西洋クラシックや宗教音楽への愛着が強く、アイルランドの伝統音楽からの影響は少ないと語っているものの、ソロの出発点が“ケルト”のサントラであり、ゲール語を世界に広めたグループ“クラナド”に身を置いたエンヤのルーツには、アイリッシュ伝統音楽があることは否定できない。
エンヤ登場以前は“ケルト”という言葉は一般的ではなく、文学や美術の世界で興味を持たれるぐらいだったが、エンヤによって“ケルト・ブーム”が起こり、神秘的なケルトのイメージに、いつしか“癒し”が重要な要素として加味されていく。映画「タイタニック」や舞台「リヴァーダンス」のヒットでケルト人気は更に高まった。一方で、アイルランドや、スコットランド、ウェールズ、ブルターニュ、ガリシアなどの音楽すべてが“ケルト”でくくられ、お気軽な“癒しの音楽”と同列に扱われる傾向もあるのは残念なことだ。
癒しから自立へ
3作目『シェパード・ムーン』(91年)、4作目『メモリー・オブ・トゥリーズ』(95年)、更に『ペイント・ザ・スカイ〜ザ・ベスト・オブ・エンヤ』と続く作品で、“癒し”は、エンヤのブランド・イメージのようになってしまったが、“癒し”の効能ばかりを求めるのではなく、そこから自分をどう見つめ、前に進んでいくかが大事だろう。エンヤはあるインタビューの中で、
「多くの人が、これまでと違う何かを求めていた時に、私の曲が世に出たのだと思います。恐らく多くの人が、私の曲によって自分自身を取り戻すことが出来たのでしょう。私の音楽を聞きながら、せわしない日常や騒音、人混みから逃れ、自分の内面の静かな部分に到達できたのでしょう」と語っている。
生活の原風景に前からそこにあったように、自然に入り込んでいたのがエンヤの音楽だとすれば、今度はそこから自分の魂の記憶を辿っていくことが求められている気がするのである。
今のところ、オリジナル・アルバムとしては最新の『ア・デイ・ウィズアウト・レイン』(2000年)でエンヤ自身が、変わりはじめたように。(Text/遠藤哲夫)