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“魅惑のユニセックス・ヴォイス”という謳い文句は、中性的なチェット・ベイカーのボーカルを言い当てている。この淡白で力が抜けたようなボーカルに一度はまってしまうと、繰り返し聞く度に、この上ないリラクゼーションの世界に連れて行ってくれる。あるいは、耳もとを舐め回すようなボーカルに、まるで口説かれているような気持ちになるかもしれない。
メロディーを崩さないシンプルでストレートな歌い方。気楽に聴けて、味わい深い。ベスト・セラーになるのも頷ける。有名なジャズ・スタンダード「Like
Someone In Love」「My Funny Valentine」をはじめ、映画やミュージカルで使われた名曲が並ぶ。
バックを務めるのは、ラス・フリーマンを中心とするカルテットで、54年2月と56年7月の録音。 |
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ジャズのベスト・セラーといえば、デイヴ・ブルーベックの「テイク・ファイブ」やアート・ブレイキーの「モーニン」、ヘレン・メリルの「ユード・ビー・ソー・ナイス・トゥ・カム・ホーム・トゥ」などが日本のCMでも流れてお馴染みだが、忘れてならないのが「マイ・ファニー・バレンタイン」。ポップス歌手もこぞって録音している人気曲であるが、ジャズとなるとマイルス・デイヴィスやビル・エヴァンス&ジム・ホールの名演と並び、チェット・ベイカーのアンニュイなボーカルが思い浮かぶ。
チェット・ベイカーの伝記映画『レッツ・ゲット・ロスト』が完成したのは1988年だが、その公開を待たずして、同年5月12日、ツアー先のオランダで死去。ホテルの窓からの転落死とされているが、麻薬中毒に苦しんだ不世出のトランペッターの寂しい最後だった。
チェット・ベイカーは1929年のオクラホマ州生まれ。52年にチャーリー・パーカーに認められるものの、チェットが注目を浴びるのは、ウェスト・コースト・ジャズを代表するジェリー・マリガン・カルテットに参加してから。このピアノレスのカルテットによる、マリガンのバリトン・サックスとチェットのリリカルなトランペットの絶妙なコントラストは、白人ジャズのクールで抒情的な側面を浮かび上がらせた。
チェットがジェリー・マリガンの許から独立して組んだのが、ラス・フリーマン(p)とのワン・ホーン・カルテットだ。この明快なピアニストに対し、感情豊かな表現で応え、内省的な殻を打ち破ったスウィンギーな演奏が聴ける。チェットの最高の演奏が聴けるのは、このラス・フリーマンと一緒の時期という声も高い。
ここで、レコード会社“パシフィック・ジャズ”が大衆受けを狙ってリリースしたのが、『チェット・ベイカー・シングス』だ。この中性的で軽いタッチのボーカルは、どこか物憂げで母性本能をくすぐるのか、日本でも若い女性にも圧倒的な支持を受け、永遠のベストセラーとなっている。続くボーカル・アルバム『シングス&プレイズ』も人気盤だ。リリカルな輝きを持つトランペットの音色と、退廃的ともいえる香りを放つボーカル、この背反する表現がチェットの音楽に独特の陰影を付けていた。
58年に“リバーサイド”に移籍。この頃から麻薬で問題を起こし、ヨーロッパに活動拠点を移すが、逮捕や国外追放などに遭い、65年には暴行を受けたことも重なりどん底に堕ちる。長い活動中止の末、カムバックを果たしたのは73年だった。CTIで復帰作『枯葉』を出した後、ほとんど海外で活躍することになったチェットは厖大な数のアルバムを残し、86年、87年には来日公演も行っている。
破滅型人生の見本みたいな人だが、チェットには人生を自分の好きなように生きた“したたかさ”がある。ジェームズ・ディーンに似ているといわれた若い頃の面影など何一つないほど、皺だらけの顔になっても、そのナイーブな感性は、揺るぎない美意識に支えられている。その音楽は、心の中で口ずさんでいるメロディーが、トランペットを通して“言葉”として紡ぎ出されているようだ。(Text/遠藤哲夫) |