JASRAC許諾番号
9005801003Y
30005900580
1003Y30007
JRC許諾番号:
X000140A02L
JRC許諾番号:
X000140A03L
このマークは、レコード会社が提供するコンテンツを示す登録商標です
RIAJ60001008
e-License
許諾番号
ID12060
ID15548
ビリーは語る。「僕の心に残る一番の作品という意味では、デヴィッド・ボウイの『ロウ 』がタッチストーンで、そこからジョイ・ディヴィジョン、エコー&ザ・バニーメン、という風に続いていくんだけど、つまり、美しき冷酷さのある音楽が好きなんだ」。このアルバムには、そんなビリーの音楽嗜好が素直に出ているし、より肯定的なロマンティシズムに満ちている。唯一のカバー曲(原型は全く留めていないが)、ビー・ジーズの「Love Somebody」にはザ・キュアーのロバート・スミスがバック・ボーカルで参加。おすすめトラックは、第1弾シングルの「Walking Shade」、エコバニ・ミーツ・U2のような「Mina Loy (M.O.H.)」「DIA」、美メロ「All Things Change」など。
08/01(月)
大阪 なんばHATCH
08/03(水)
名古屋 クラブダイアモンドホー ル
08/04(木)
東京 SHIBUYA-AX
08/05(金)
東京 SHIBUYA-AX
※ 詳しくはこちら
ニルヴァーナ、パール・ジャムと並んでグランジ〜オルタナティヴ・ロックの中心バンドだったスマッシング・パンプキンズ。サブ・ポップからシングル盤を出したこともあるが、彼らはむしろ、グランジの壁を突き抜けることで、独自のサウンドを確立していったグループだ。93年にリリースした『サイアミーズ・ドリーム』で聴ける、「トゥデイ」の切なさのように、轟音ギターをかき鳴らしながらもロマンティックなサウンドを展開できた。
そのスマッシング・パンプキンズのほとんどの曲を作り、ボーカルを取り、鋭いギターの切り込みを入れていたのが、ビリー・コーガン。スマパン=ビリーという図式が成り立つのもうなずける。
スマッシング・パンプキンズは88年にビリーとジェームズ・イハが出会い、それに女性ベーシストのダーシー、ドラマーのジミー・チェンバレンが加わる形で結成された。ブッチ・ヴィグのプロデュースで91年にメジャー・デビューし、2作目の『サイアミーズ・ドリーム』、3作目の『メロンコリーそして終りのない悲しみ』が全米No.1を獲得するなど、爆発的なセールスと高い評価を誇った。時代を背負わされた重圧もあったのか、惜しくも2000年に解散。ビリーは新たにZWAN(ズワン)を結成し、2003年に『メアリー・スター・オブ・ザ・シー』をリリースしたが、こちらもすぐに解散。
そのビリーの、待望の初ソロ・アルバム『ザフューチャーエンブレイス』が遂に完成した。プロデュースにはビリー本人と、『アドア』以降ビリーの片腕として仕事をしてきたビヨルン・ソースラド、ニッツァー・エブのボン・ハリスが当たった。デジタル音を駆使したサウンドは、ヒンヤリとした感触と美しいメロディーによる暖かさが絶妙に重なりあったもので、デヴィッド・ボウイやジョイ・ディヴィジョン、ニュー・オーダーを彷彿とさせる部分もある。
ビリーは、『ザフューチャーエンブレイス』について、「僕はただ美しい―と言っても僕が思う美だけど―作品にしたいと思った。ただ、ショッキングだったり、爆音だったり、挑発的だったり、ってことだけが目標の作品にはしたくなかった。すべてが美しい場所から生まれてきたような、そういうアルバムにしたかった」と語っており、「希望についてのアルバム。そして、立ち向かうための、戦うための音楽を作りたいという僕の願望を表現するアルバム」ということ強調する。
スマパン時代に付けていた鎧をはずし、赤裸々に自分をさらけ出す。それは絶望の果てに、未来を見出すこと。『ザフューチャーエンブレイス』は、まだ完成してない新たな作品へ続いていく。彼が、ソロ・アルバム発売日当日に出した声明文 では、スマッシング・パンプキンズを復活させる計画があることを宣言していた。このアルバムは、未来のスマッシング・パンプキンズへの切符でもある!(Text/遠藤哲夫)
この記事のトラックバックURL
http://www.ongen.net/trackback/tb.php?no=37918