アバのリバイバルはもう何度も訪れているが、日本では2001年にTBS系で放映されたトレンディ・ドラマ『ストロベリー・オン・ザ・ショートケーキ』(略してS.O.S)が記憶に新しい。滝沢秀明と深田恭子主演の“永遠の片想い”をテーマにした作品。オープニング・テーマが「チキチータ」、エンディング・テーマが「S.O.S.」で、劇中でもアバの曲が効果的に使われた。
アバの地元スウェーデンでも、1998年にティーンズ・ダンス・ユニットのA☆Teensが、アバのヒット曲「ママ・ミア」でデビュー。ファースト・アルバムが、全曲アバのカバーによる『アバ・ジェネレーション』で、アバのサウンドを現代のディスコ・サウンドに見事に甦らせていた。90年代にカーディガンズやメイヤが注目され、日本でも渋谷系の流れとして一時、大変なブームになった“スウェディッシュ・ポップ”もアバなくしては生まれなかったはずだ。
1974年にアバとしてデビューして以来、1982年までの約8年間でシングル、アルバム合わせて2億5千万枚以上のセールスという、信じられないような記録を残しているスーパー・ポップ・グループ。以前なら、ビートルズで洋楽に目覚めた人が多かっただろうが、今ではリアルタイムではアバを知らない若い世代が、母親がかけているCDでアバを知ったり、TVで流れる曲でアバを知ったりして洋楽に目覚めるケースも多いとも聞く。世代を超えて親しまれる要素がアバには確実に存在するということだろう。
アバの前身は、ビョルン・ウルヴァース(ギター)とベニー・アンダーソン(ピアノ)が1970年に組んだビョルン&ベニーというデュエットで、日本でも「木枯らしの少女」が大ヒットした。そこに、ビョルンの妻アグネタ・フォルツコグとベニーの恋人(後に結婚)のフリーダ・リングスタッドが加わり、'74年に4人の頭文字を取り“ABBA”としてスタートを切る。同年4月の“ユーロヴィジョン ・ソング・コンテスト”で「恋のウォータールー」が見事グランプリに輝いたことで、ABBAの栄光の歴史が始まった。
アバのヒット曲の数々は、思い付くままに並べてみても、「ダンシング・クイーン」「チキチータ」「S.O.S.」「ママ・ミア」「ヴーレ・ヴー」「テイク・ア・チャンス」「ザッツ・ミー」「ギミー・ギミー・ギミー」「サマー・ナイト・シティー」などすぐに10曲くらいは出てくる。ベスト盤も数多く出ているが、'92年リリースの『アバ・ゴールド』と'93年リリースの『モア・アバ・ゴールド』がロング・セラーとなっている。ちょっと欲張りな方には、これまでのシングル盤を年代順に収録した『ディフィニティヴ・コレクション』もお薦めである。
(Text/遠藤哲夫) |

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記念すべきファースト・アルバム。日本ではビョルン&ベニー時代の「She's My Kind Of Girl(木枯らしの少女)」が大ヒット!日本で50万枚売ったという話は本当か?僕も買いましたけど…。「Another Town, Another Train(見知らぬ街の少女)」もシングルとなった。アバ(以前の個人名列記の時代)としては何といっても「Ring Ring」が本国で1位、ヨーロッパ圏でベスト10ヒットとなった。
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ヨーロッパ歌謡祭“ユーロビジョン・ソング・コンテスト”で優勝曲となった「Waterloo(恋のウォータールー)」(全米6位のヒットに)で一躍有名になったアバ。今聴いても完璧なポップ・ソングであるが、センチメンタルな美しさを持った「Hasta Manana」も名曲。オールディーズ風からハード・ロック風まで、まとまりがない部分もあるが、アグネタとフリーダのチャーミングさが目立ってきた。
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「恋のウォータールー」に続く大ヒットとなった「S.O.S.」の他、初の英No.1ヒットにして初期の代表的ナンバー「Mamma Mia」も収録。レゲエ・ナンバーに挑戦した「Tropical Loveland」やソウルっぽい「Bang-A-Boomerang」、サックスが咆える「I Do,I Do,I Do」なども佳曲ではあるが、やはり「S.O.S.」のメロディー作りの巧みさが光る。この曲から、アバの快進撃は始まった。
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アバの最高傑作ともされる4作目。日本でも大ブレイクとなり、英米の両方でチャート第1位となった「Dancing Queen」は不滅の名曲と呼ぶに相応しい。アルバムの流れも素晴らしく、ボーカル・アレンジも複雑になり、強烈なインパクトを残す。「Knowing Me, Knowing You」の力強さ、「Fernando(悲しきフェルナンド)」や「That's Me」のセンチメンタリズムなど、アバの様式美が完成している。
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映画『アバ・ザ・ムービー』と共に、大ヒットとなった5作目。アバの絶頂期を捕らえたのがこの2作品と言える。特に、アバのヒット曲では5本の指に入るであろう名曲「Take A Chance On Me」をはじめ、英では9週間No.1となった「The Name Of The Game」、カーペンターズも取り上げる予定があったという「Thank You For Th Music」など完成度が高い。壮大なスケール感を持つ「Eagle」も名曲。
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世はディスコ・ブームだったこともあり、本作はアバの“ディスコ・アルバム”となっている。リマスター再発の際、日本でも大ヒットしたシングル「Summer Night City」や「Gimme! Gimme! Gimme!」が追加収録されたことで、最強のアルバムとなった感がある。ユニセフのチャリティー・ソングともなった「Chiquitita」のフォルクローレ風出だしからの見事な曲展開など、アレンジも凝った曲が多い。
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79年には『グレイテスト・ヒッツVol.2』がベスト・セラー(日本で最も売れたアバのレコード)になったり、80年3月の来日公演(全国で11回公演)はソールド・アウトの大人気となり、その余韻の中にリリースされた7作目。アバの魅力の全てを注ぎ込ん後期の傑作として評価が高く、売り上げも世界各国でトップに輝いた。名曲「The Winner Takes It All」や、「Happy New Year」も人気曲。
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レコード総売り上げが1億枚を突破してギネス・ブックに載った(81年)そうだが、スウェーデンのGNPを引き上げたとも言われるマンモス・グループのラスト・オリジナル・アルバム。タンゴのリズムを取り入れた「Head Over Heels」や、アバ最後の輝きといった「One Of Us」などのシングル・ヒットを含む。「Slipping Through My Fingers」はコカ・コーラの景品のピクチャー・レコードになった。
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アバに参加する前のソロ活動時代にアンニ・フリード名義で2枚、75年にも1枚ソロ・アルバムがある。本作はアバ解散後にリリースされたもので、プロデューサーはフィル・コリンズ!
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アバ参加以前、在籍中と7、8枚のソロ作をリリースしている(スウェーデン語)が、解散後のソロ第1弾が本作。プロデューサーはブロンディなども手掛けたマイク・チャップマン。その後も多数のソロ・アルバムあり。
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アバ解散後の二人のソロ・アルバム(フリーダ2枚、アグネタ3枚)から選曲されたベスト盤。奇数曲番をアグネタ、偶数曲番をフリーダというように交互に並んでいる。アバとはまた違った魅力が詰っている。
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アバのヒット曲を使ったミュージカル『マンマ・ミーア!』のサウンドトラック盤。1999年4月(アバ25周年)にロンドンのプリンス・エドワーズ劇場にて初演。現在もブロ−ドウェイでロングランを続けている。
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スウェーデンのタンバリン・スタジオ録音でトーレ・ヨハンソン・プロデュースという、スウェディッシュ・ポップ・ブームの発端となったアルバム。日本でもCMに使われた「カーニヴァル」(2作目に収録)が大ヒットとなり、渋谷系の定番となったカーディガンズだが、このデビュー作のアコースティックな胸キュン度は2作目よりも上を行く。「Rise & Shine」「Sick & Tired」は必聴のネオ・アコ・ナンバー!
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アバが事実上の解散をした後、スウェーデンのポップ・シーンを背負っていたのが、この男女ユニットのロクセットである。70年代がアバなら、80年代はロクセットの時代というわけ。短髪の女性ボーカル、マリー・フレデリクソンの北欧特有の哀愁を染み込ませた歌声が印象的。『プリティ・ウーマン』の主題歌となった「愛のぬくもり(It Must Have Been Love)」をはじめ、このバラード集には必殺のナンバーがずらり。
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92年にスウェーデンのインディー・レーベルからデビュー。女性ボーカルのジェニー・メディンを中心に、3人組が奏でる爽やかでおおらかなギター・ポップが魅力だった。3作目『インポッシブル・シャッフル』ではジャジーな新境地も見せていたが、98年に解散。2004年に『ムーヴィン・オン・アップ』で復活し、本作ではホーンも取り入れ、ジェニーのクールビューティなボーカルも成熟した感じ。
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ラテン・ポップ・グループにも同じパンドラ(女性3人組)がいるのでややこしいが、こちらはスウェーデン出身のユーロ・ビート系のポップ・シンガー。昔のマドンナやカイリー・ミノーグとか好きな人は気に入ると思うが、本作は「テル・ザ・ワールド」や「ドント・ユー・ノウ」などの有名なヒット曲を放つちょっと前のアルバムになる。「Don't Worry」「Crazy Way About You」とか、かなりノリノリ!
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